第十三話




 場所さえわかれば、後は早かった。
 他の忍びに指示を出すでもなく、居合わせたに何か言うでもなく、佐助はすぐさま木々の間へと消える。
 一瞬だけ、幸村の指示を仰ぐことを考えたは、しかしその間を惜しんで佐助の後を追った。
 幸村の方へは、忍びたちから報告が上がるだろう。それに幸村は城主である。祭りの当日に、その役目を放棄するわけにはいかないから、彼が表立って動くことは難しいはずだ。
 それよりも、佐助を放っておいてはいけない。
 あのままの状態で佐助が賊と鉢合わせれば、その先は火を見るより明らかである。
 問答無用の皆殺しだ。
 先ほど佐助が問いただしていた三人の様子から考えて、そこそこ規模のある一団なのだろうが、武力という点においては佐助や、恐らくはにとっても、足元に及ぶような相手ではなさそうだった。
 としても、それでの身が危機から助かるというなら、賊の生命を奪うことに躊躇するつもりはない。
 だが、たとえ佐助に敵うような手練れがいなかったとしても、その場には他でもないがいるのだ。
 は、戦を知らない。
 戦いを知らないあのひとに、血や、死を、見せてはいけない。
 怖がらせてしまうだろうし、何よりあのひとは優しいから、殺される賊に同情して心を痛めるかもしれない。
 もし、そうなれば。
 苦しむのはだけではない。
 佐助も、だ。
 あの忍びは、己の行いが元でが苦しむようなことがあれば、必ず己を責める。そして必ず、から離れるに違いない、はそう思う。
 あの佐助は、そういう男だ。
 そんなことは、誰も望まない。
 何としても、を助け、そして佐助を止めなければ。
 風の補助なしでは佐助の背を追うのが精いっぱいだが、は足を休めずに駆ける。上田の女中たちは優秀だと思った。流鏑馬の衣装の着付けはしっかりとしていて、の動きを妨げないし、これだけ動いても崩れない。
 瞬く間に街を抜ける。
 上田の南、外街道沿いを一里、地蔵尊。
 あの男が泡を吹きながら口にした言葉どおり、街道の先、遠目に見え始めたのは縄に繋がれた馬が十頭ほど、それから町人のようないでたちの男だろうか、それが十人と少し。
 前方の佐助が、両腕に大手裏剣を構えるのが見えた。
「――待て!猿飛殿ッ!!」
 その名を呼んで、は足を速める。
「早まるな!わたし達がすべきは、まず殿の無事の確認だろう!」
 並走しながら声をあげる、佐助は表情を無くした顔を前方へ向けたまま、視線だけを一度こちらへ寄越した。
 わかってもらえたのかどうかは判断しかねた。その間にも賊との距離は縮まっており、ついにひとりがこちらに気づく。
「なんだ!?」
「構えろ!」
 男たちが慌てふためいた様子でそれぞれ武器を構えはじめる。武器と言っても刀や槍を持っているのは少数で、大多数は木の棒を手にしている程度だ。
 人間の興奮が伝播しているのだろう、繋がれた馬たちがそわそわと首を動かし始めた。
 はわずかに眼を細める。あれはまずい、馬たちを興奮させてはいけない。
 己の武器の間合いに彼らを入れないぎりぎりのところで、佐助とは立ち止まった。完全な無表情の佐助に対し、ここまで全力疾走してきたは息が上がっているのだが、なんとか落ち着けるように無理やり息を殺す。
「なんだてめぇら!」
 じりじりと男たちが近づいてくる。彼らを牽制するように、佐助の右手で手裏剣がきりきりと音をたてて回転した。
 それだけで、こちらに近い男が「ひっ」と後ずさる。やはり、戦いを生業にする者はいないようだと、は考える。
「――女は、どこだ」
 底冷えするような、声だった。
 その佐助の声を聞きながら、は視線を走らせる。
 一見したところの姿はない。まさか間に合わなかったのか。逸る心を押さえようと、無意識に着物の胸元を掴む。
「女ァ・・・・・・?」
「さて、なんのことやら」
 癇に障る下種な笑いを顔に張り付けて、男たちが肩をすくめた。
 彼らは馬泥棒であるから、佐助の目的が「馬」ではなく「女」だと知って気を緩めたのかもしれなかった。
「貴方たちの仲間三人は戻らんぞ、すでにこちらで身柄を押さえている」
 その仕草のひとつひとつを逃さぬように見据えながら、は言う。
「抵抗は、無駄だ。大人しく武器を捨てろ」
 これが、できる限りの譲歩だ。応じられなければ、力に訴えなければならない。興奮気味の馬たちと、捕らえられているはずののことを考えれば、できる限り流血沙汰は控えたいが。
 へらへらと笑いながら、男のひとりが別の男へ合図するのを、視界の端に捉えた。
「仕方ねェ、馬だけ先に、」
「!」
 合図を受けた男が、馬を繋いでいる縄を切って、その尻を叩いた。
 驚いたその馬が、街道を南へ駆けだす。
 その、馬の背に。
 妙な大きさの麻の袋が括りつけられている。
 ――ちょうど、人ひとりが入るほどの、大きさの。
「ッ、猿飛殿!!」
 が鋭く言い放つころには、佐助は地を蹴っていた。
 一足飛びで男たちの頭上を越え、馬を追う。
「あのヤロウ!」
 慌てて佐助の後を追おうとした男を、別の男が制した。
「待て、こっちのガキが先だ」
 どうやら男たちは佐助の方に脅威を感じているようだった。彼らにしてみれば、流鏑馬の衣装のはどう見てもただの「良家の子ども」というところなのだろう。刀も飾りに見えるかもしれない。に向き直った数人が、じりじりと距離を詰める。
 は冷めた眼で彼らを見つめながら、左手で刀の鯉口を切る。
「・・・・・・これが最後の忠告だ、大人しく武器を捨てろ」
「へ、ずいぶんと威勢がいいじゃねェか坊主!」
「そのご自慢の刀を抜いてみろよ!」
 頭の悪そうな罵声に、は眉を動かし、
「・・・・・・!」
 視線の先、先ほど駆け出した馬の背から、括りつけていた縄が緩んだのか、麻袋が放り出されたのが見えて、眼を見開く。
 佐助は近づいているが、あれではまだ届かない。
 だめだ、あの袋には。
「余所見してンじゃねーぞこのクソガキがッ!!」
 無遠慮に間合いに踏み込んだひとりの男が、その手の棒を振り上げるのが視界の端に移る。棒と言ってもその太さはの腕ほどある。が、何のことはない、このまま抜刀で棒自体をを斬り飛ばすことはにとってそう難しいことではない。
 しかし、には選択する時間が無かった。
 正確には、選択肢すら無かった。
 を救う。
 今この場にあって、が最優先で為さねばならないことだった。
殿!!!」
 前へ、宙に放り出された麻袋へ右手を伸ばす。
 眼前に迫る木の棒は無視して、は風へ意識を向けた。
 ――次の瞬間、右の頬に衝撃が走った。







「ッ、」
 無防備な状態で殴られればさすがに体勢は崩れた。痛い、とは思ったが、しかし思ったほどでもない。
 やはり武術に関しては、少なくともこの男は素人だ。
 は膝をついた状態で、男たちを睨んだ。
 口の中に、血の味が広がる。口の端を切ったらしい。
「おいおい、さっきまでの威勢はどうしたんだよ?」
「なぁこいつの服売れんじゃねぇ?」
「確かに!まぁガキ自体は何の足しにもならなさそうだが」
 男たちの会話は聞き流しながら、は無事だろうかと視線を投げようとして、
 そこに落ちている、桜色の飾り房に、気が付いた。
 あれは。
 「ちび」の。
「――!」
 は飾り房に右手を伸ばし、
「おっと」
「ッ」
 その掌を、男のひとりに踏みつけられた。
 別の男が、飾り房をつまみ上げる。
「何だァ?」
「返せ!汚い手でそれに触るなッ!」
 が怒鳴る、大きく口を開けば先ほど切った口の端が痛んだが、それどころではない。
「へぇ?返さなかったらどーするんだい、坊主」
「・・・・・・ッ」
 武術の心得はない癖に、力だけは体の大きさ相応にあるようで、踏みつけられた右腕が動かせない。
 これ見よがしに男が飾り房をくるくると回している。
「そうだ、そこに川があったよな?放ってくるか」
「待て!!」
 は眦が裂けそうなほどに眼を見開く。
 怒りで頭がおかしくなりそうだ。
 それは、大事な飾り房だ。
 の大事なの、大事なちびの。
「返せ・・・・・・ッ」
 ひゅう、と頬に風を感じる。
 男がにやにやとした顔で、飾り房を上に放る。
「だから。返さなかったらなんだって――」
 宙に浮いた飾り房は、男の手に落ちる直前、姿を消した。
「!?」
「じゃぁ一回死んどくかい、アンタ」
 聞きなれた声。
 飾り房は彼の左腕の手甲が持っている。右腕で、男の喉元を掴んで持ち上げている。
 そして、の右手を踏みつけていた男が文字通り吹き飛んだ。
 へしゃげたような悲鳴を上げて地面に転がったその男を無意識に眼で追ってから、は恐る恐る、視線を戻す。
「旦那」
「うむ」
 飾り房を受け取ったそのひとが、の眼前に膝をつく。

 差し出された飾り房を、震える手で受け取る。
 ゆっくりと、顔を上げる。そこに、優しい、双眸。が、だいすきな。
「なんだ、お前らは!」
「ていうかこいつ、さっきの!?」
 どよめく賊の男たちに、その忍びは釣り上げていた男をぽい、と放り投げてにへらと笑う。
「って聞かれてるけど、旦那どうする?」
「そうだな、」
 そう言って、の頭を一度撫でてから、そのひとは立ち上がり、忍びの隣に立つ。を、賊から、守るように。
「名乗るほどでもあるまい、我らは通りすがりの、――『の味方』でござる!」
「えぇっ正義の味方とかじゃないんだ!?」
「む、しかし正義の何たるかをここで論議する暇は恐らくないぞ」
「あーそうですねわかりましたじゃーそれでいいよ、はい俺様たちは『ちゃんの味方』ですよっと」
 要するに自分たちにとっては敵であると理解したのか、男たちが再び武器を構える。
 頬を掻きながら、忍びはのんびりとした声で言った。
「ねーちゃーん、こいつらとりあえず皆殺しでいいの?」
 聞かれて、漸くは我に返った。
「だっ、駄目だ!誰一人殺すな!できれば大きな傷も負わせるな!」
 その答えに、忍びがひょいと肩をすくめる。
「だってさ」
「それはなかなか難しいな」
 二槍を構えるその肩が、少し下がる。
を足蹴にしたあの男だけでも消し炭にしていいだろうか」
「ひとりくらいなら大丈夫じゃない?俺様も秘密にしとくし」
「そうか」
 わざわざ聞こえる大きさで不穏な会話をしている二人に、は慌てて立ち上がる。
「だから駄目だ!余罪を確認せねばならんし、とにかく殺すな、頼む、わかってくれ」
 二人が頭を寄せ合って相談している。
「・・・・・・だって」
「むう、腸が煮えくり返るが致し方あるまい」
「うん、しょーがないね。なんたって俺様たちは」
「――『の味方』、だからな」
 そう言って、二人が同時にこちらを向いて、笑う。
 その笑顔を見て、も笑った。










   走馬灯なんか感じないじゃないか。
 どこか他人事のようにはそう考える。
 放り出されてから地面にぶつかるまでが、妙に長い。
 ――風の音が、聞こえた。
 なぜだろうか、脈絡なくの顔が脳裏に浮かぶ。
 次の瞬間、身体が浮いて、悲鳴にならない悲鳴が猿轡を噛まされた口から漏れた。
 遊園地のフリーフォールなどで、一瞬無重力状態になった時に感じる、どこか心もとないような、歯の根が疼くような、あの感じに近い。
「〜〜〜ッ!!」
 無理、もう限界、そう思ったとき、身体に重力が戻ってきた。
「!」
 思わず猿轡を食いしばる、しかし予想したような衝撃はなく、がしりと受け止められたような、感覚。
「・・・・・・?」
 びっ、と音がして、光が差し込む。暗い袋の中で眼が慣れていたせいで、その眩しさに驚いて眼を閉じてしまってから、今のは麻袋が裂けた音だと気が付いた。
ちゃん!」
 ひるんでいる間に、猿轡が外される。唐突に自由になった呼吸で、少しだけ噎せた。
「え、猿飛さん、・・・・・・ですか?」
 何度か眼を瞬く間に漸く明るさに慣れて見上げれば、
「・・・・・・っ」
 その間近に佐助の顔があって、驚いたは袋の中で上体をわずかに仰け反らせた。
 だんだんと、状況が理解できてくる。
 どうやら自分は、やはり馬から投げ出されて、間一髪のところで佐助が受け止めてくれたのだ。
 そして今。
「え・・・・・・っ、と、猿飛さん・・・・・・?」
 にこりともしない佐助が、がっちりとの身体を捕まえていて、――要するに、袋の上からとはいえ、抱きしめられている、のである。
 これまでにもこういうことが、なかったわけではない。
 なかったわけではないが、これまでの「そういうこと」は全て、佐助がをからかっていただけなのだ。
 だから、今のこれも、単純にからかわれているのだと、は思う。
 何しろ抱きしめられている自分の恰好が、全身麻袋で顔だけ出した状態だ。想像するだけで残念な状態である。
「あの、猿飛さん?」
 つらつらと考えてみたが、その間佐助はただ真っ直ぐとの双眸を見つめたまま、微動だにしなかった。
 もそろそろ困ってきた。
 あの。
 どうしたんですか。
 そう聞こうと口を開いた瞬間、ぎゅう、と抱きしめられる力が強くなった。
「わ、猿と、」
ちゃん・・・・・・ッ」
 驚いて、うろうろと視線を泳がせると、の顔の横に佐助の頭がある。収まりの悪い、明るい色の髪が、の頬をくすぐる。
 いったいこれは何事ですか。
 これまでのからかわれ方でも、一二を争う密着度である。
「猿飛さん・・・・・・?」
 ただ、佐助の様子が、いつものからかっているときのそれとは、違うような、気がした。
 痛いほどに、抱きしめられている、その腕が。
 まるで、に、縋るようで。
 の肩(あくまで麻袋の上からだが)に顔を埋めた佐助が、口を開いた。
「無事で、よかった・・・・・・!」
 その、言葉に。
 どうしようもないほどの、安堵の色が見えて。
 は思わず、言葉に詰まった。
 心配をかけてしまった。
「・・・・・・その、すみません、でした・・・・・・」
「・・・・・・なんでちゃんが謝るの」
「心配、させてしまったのでしょう」
 の肩の上で、佐助がはー、と大きなため息を吐いた。
「・・・・・・そういうことじゃ、なくってさ」
「あ、あのっ、私を乗せてた、馬はっ、」
 唐突に馬のことを思い出したが、身をよじる。
 しかし、佐助の腕はびくともしなかった。
「大丈夫、忍隊で追ってる」
「そう、ですか、」
 は視線を戻して、
「!」
 それに、気が付いた。
「あ、あの、猿飛さんっ」
「・・・・・・何?」
「あれ、あっち、見てくださいっ」
 どっち?と呟きながら、佐助が頭を持ち上げる。
 ゆっくりとした動きで、物憂げな様子で瞼を持ち上げる。顔立ちがきれいなだけに色気が半端ない、頬が熱くなるのをごまかすように、は声を上げた。
「あっち、あれ、真田さん、と・・・・・・」
「は?旦那は神社に詰めてるはず、」
 一つ瞬きをして、佐助が背後を振り返って、
 ――固まった。
「・・・・・・嘘、だろ・・・・・・?」
 茫然とした佐助の声。
 そう、嘘か冗談だと、思った。
 それでも、何度瞬きをしても、の眼にはそれがはっきりと、映る。

 すなわち。
 賊の男たちの間で立ち回る、「真田幸村」と「猿飛佐助」の姿だ。




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