第十四話




次々と真田さんと猿飛さんが馬泥棒達を倒していくのに見惚れていると、先に呆然とした状態から脱した猿飛さんからようやく麻袋を取り外され、後ろ手に縛られていた縄も切ってもらえた。
ほっとして手首を見ると、がっつりと縄の痕が残されていて、手はわずかばかりに震えている。
色を失った手に血を通わせるために、にぎにぎを繰り返していると…その震えが徐々に大きくなっていった。

ようやく、怖かったんだなでも助かったんだなと自覚してしまうと全身に震えが響いていきそうで、頭を振るいながらそれを追い出すよう猿飛さんを見上げた。
我慢するようにぎゅうと握りこんだ拳の中で、過敏になった掌の中、自分の爪が当たってちょっと痛痒い感じでじーんと痺れている。

猿飛さんはくないを構えたままであの二人を見ている。
その二人の傍らに座り込んでいたちゃんを見て、ようやくあの二人が誰なのかというのを確信した。


ちゃんの世界の、真田さん達なんだ。


ちゃんはそれこそ安心し切った顔をしていて。


その表情はにも何度か見覚えがあった。
こちらの生活に慣れたが、時折胸元を押さえる仕草をしたときに見せるあの表情。
おそらくその着物の下には真田さんから貰ったという、あの手ぬぐいがあったに違いない。

よかったと安堵の息を漏らすと同時に、真田さんの衝いた槍の柄が、最後の一人になった馬泥棒の鳩尾に打ち付けられた。
すべてが終わった事を確認して、真田さん達がちゃんに駆け寄るのをただぼうっと見ていると、ひょいと抱き上げられる。
急に変わった視点に、私は素っ頓狂な声を思わずあげてしまった。


「う…ぇ…!?」

「大人しくしとこうね。」

「あ、歩けますから!」


バランスを崩さないよう肩に手を添えて言い募ってみても、猿飛さんはだめと言わんばかりに首を横に振る。


「…震えているのに無理しないの。」

「!」


何だばれていたんですかと力なく笑いながら、全身強張った力に気が付いた。
自分でも今自覚したばかりだというのに、それを猿飛さんは最初からわかっていたみたいで。
それを解すみたいに背中を優しく撫でられるものだから、ゆっくりではあったけれど力を抜いて、猿飛さんに抱きつくように体重を預けていった。

その腕の中にいる時分は助かったのだとかみ締めているようで、撫でられるおかげで震えはそれ以上起きなかったけれど、急激に襲ってきた睡魔で気が付いたらいつしか意識が遠のきかけていた。
ちゃん達の事とか、馬の事とか、流鏑馬の事とか、気になることは色々あるはずなのに、それを考える事が億劫なくらい。


猿飛さんに助けてもらって…安心したのかな……。


「安心してゆっくり寝ときな?」


自分の考えたことを肯定するように、低い優しい声が鼓膜を震わせる。

眠りに落ちる寸前に聞こえた声に、返答すらできなかった。
一つだけ頷くのが精一杯で、すりと顔を寄せては落ち着く場所を探し当てる。

きゅうと握った着物が暖かくて、縋るように力を込めたところで、すとんと意識が落ちていった。




■□■□■□




を横抱きで抱えた佐助が達に近寄ってくる。
殿は意識を失っているようだが、顔色はほんのり青白い程度で特別怪我をした様子もなさそうに見える。

とりあえず佐助は間に合ったかとほっと安堵の息をは吐いた。

自分の目で確認したいと地面に付いた箇所の土を払いながら立ち上がると、その視界を遮るように佐助が前に立ちはだかった。
ぎしりとその場が音を立てて軋むくらい佐助同士で睨みあっている。


まったくこの二人は似ているというかなんというか…。


下手な殺気でが気にしたらどうするのだ…といった所で、こちらの佐助は警戒を解くわけもないだろう。
そしてこちらの佐助が警戒を解かない以上、緩めるわけにも行かずに睨み合ったままの膠着状態がこうも簡単に出来上がってしまう。

両方の佐助にとって見知った自分が説得せねばならないが、どう説明すべきか…。
そう眉を顰める前に、口を開いたのはを起こそうと寄って来ていた幸村だった。


「…お主は………ここでの、佐助であるのだな。」

「………そうだけど?」


佐助を一歩下がらせて、幸村が前に出る。
そのおかげで殺気は散ったが、緊張感は漂わせたままだ。

問いに対して淡々と答える佐助の腕の中では、緊張感など一切ない雰囲気でが穏やかに胸を上下させている。


少しばかりほっとした。


自分ならば緊張感やら殺気やらで飛び起きかねない状況でも、殿にとってはさほど気にならないことなのか…。
否、戦いに関して素人であるならばあるほど…肌を刺す空気に夢見が悪くなりそうだが…。

それとも……殿にとっても、『あの場所』があるべき『だいじな場所』なのか…。


「此度はが大変世話になった。改めて礼を言う。」

「いーえ。お世話したのは俺様じゃないし。」


を抱いたまま、器用に肩をすくめて飄々と返事をする。

おそらくは、が言っていた…自分たちとは別の幸村と佐助であると、この目の前にいる佐助は理解しているのだ。
しかし、親しかった自分ならばいざ知らず、初対面であるはずの佐助がどうしてこうもすんなりと納得をしているのかが疑問に残った。


あれほど自分に対しては疑わしき態度で接していたにもかかわらず。


自分の言葉を全面的に信用して、…とは到底思えない。
もちろん、幸村や佐助のような婆娑羅を使用する実力者が早々いないということも、根拠の一つにはなっているやも知れぬが。
しかし、例えば刃を交えるなどしてもいないうちにというのは、どうにもひっかかった。

そして、それに関してはこちらの幸村と佐助も同じことが言える。


どうして、幸村はここの場所の事を知っているのか。


どうして、ここでの佐助であると確信しているのか。


……どうやってここまで来られたのか。


まぁ、警戒はすれどもここで戦闘となるわけではない。
さすがにこの3人がそうなってしまえば、自分では止められない。
意識がないとは言え、がいるこの場で婆娑羅者同士が本気でぶつかれば、被害は免れぬ。


だからこそ、お互いが認識しているこの状況に、は何よりも安堵していた。


手の中にある桜色を房を握り締め、顔を上げる。
何よりも、どうしても確認したい事がある。


「…殿はご無事なのか?」


歩み寄って、間近で確認する。
を抱いたままの佐助が慌てていない所を見ると怪我をしていないことはわかりきっているのだが…。
それでも自分の目で確認しておきたい。

咄嗟に風を使いはしたが、殴られたせいで途中で意識が途切れてしまった。
中途半端な風でを傷つけるということはないにしろ、佐助が受け取ることはできたのかそれだけが不安だ。

馬の高さから、ましてや無茶苦茶に走る上から体勢を整える事もなく叩き落されれば無事などでは絶対に済まない。
呼気は穏やかではあるが、それは単に、体の痛みによる逃避などではないか。

覗き込むと手首に縄の擦れた痕は残っているものの、大きな…骨折のような怪我はしてないように見えた。
ほっと息を吐く。


よかった、は無事だ。


手に持っていた桜色の房を、の胸元に重ねられた手の中に入れてやる。
身じろぎもせずなすがままに手の内に入れさせてくれたを見て、はようやく表情を緩めた。


殿が無事でよかった。


この房も、軽く土を落とす程度で綺麗に戻ってきてくれてよかった。


雨に濡れた土などではなくて良かった。


上田の馬がいない事を気にはしそうだが、それとわかっている佐助が動かない所を見ると何らかの対策をとっているのではないかと、漠然と思った。
そういった点は抜かりないはずだ。



もう大丈夫だ。



殿も、自分も。



その様子を今まで黙って幸村の後ろで見守っていた佐助が口を開いた。


「薬使って眠らさせられてるだけじゃない?そっちの佐助も俺らがいがみ合うのわかってただろうし。」

「は?」


薬?


すんと鼻を鳴らしながら佐助がそういうということは、薬剤の匂いがまだ残っているのだろう。
これだけ近くにいる自分がわからないのだから、ごく微量の薄いものかもしれないが。

目の前にいた佐助を見上げると、ふいと視線を反らせる。
薬を使用したという指摘が事実なのだろう。
何のためにと思いはしても、おそらくは急に降って湧いた幸村と佐助の姿に、予測はあったにせよ警戒したのだろう。

こちらの佐助が言うとおり、いがみ合えばは止めに入る。
誰よりもの言葉を信じ、もう一人幸村と佐助がいると信じるならば、その実力とて拮抗している事もわかっているはずで。


1対2の不利な佐助を諌め、助けるために。


仕方ないと笑いながら、と佐助が話をしていればちょくちょく顔を出していたときのように。
そして、もし佐助が武器を使用していれば…間に入るであろうに対して止める理由も幸村にも佐助にもない。
単に、巻き込まれた一般人の一人、になるだけだ。


それを危惧した佐助もまた、を庇うために眠らせたのか…。
冷静にそうだと納得して、この忍びの今までの行動をすべて思い出してみると、なんもまぁ不器用な。

だが…なんと人間臭いことか。

それが、幸村などではなく、自他共に優秀と認める真田忍隊の長の行動だというのだから…。
笑わぬようにするのでは必死だ。


愉快などではなく、なぜだか嬉しくて。


そんなを他所に、佐助同士は舌戦を展開中だ。


「ったく、一回邪魔してくれちゃってさぁ…。おかげでちゃんにいらない傷まで負わせて。」

「邪魔した覚えはさらさらないんだけど、結果的にはそうなったって感じ?城内で婆娑羅なんざ使われてたまるかよ。押さえようとするに決まったんだろ。」


…佐助やめぬか。
そう幸村から止められるまで、なんのかんのと言い合いは続いた。
よくぞそこまですらすらと言葉が浮かぶものだと、口下手な部類に入るは心から感心したくらいだ。

いつのまにやら横に来ていた幸村も呆れ顔で仕方のない奴だと笑うのにあわせて、先程我慢していた笑みをは押し出した。
殴られた口端がちりりと痛んだが、それでも今は無性に笑いたかった。
房を渡してしまい、空いた手を幸村から絡め取られる。


あぁ、もう手ぬぐいで代用する必要はない。


この場所に、当たり前だと思う場所にようやく戻れたのだ。


ぎゅうとその手を握り返す。


「どっちにしろ俺様は何もやってないし、礼ならちゃんと旦那に言えば?」


舌戦からようやく落ち着いた佐助が、を見ながら幸村とに話しかける。

確かに、に拾われねば、に支えてもらわなければこのように長い期間、たった一人の上田城で押しつぶされていただろう。
幸村にとって、いくらが頼んだからと言って、見知らぬ人間を長期間において滞在を許して、手当てだけでなく寝食すら与えてもらい、感謝しようがない。
常日頃から感謝の意は述べていたが、もう一度改めて言わねばとは思った。


ちゃんと、自分は『帰れた』のだと。


元の上田城に戻る手立ては未だにわからぬが、帰ったと言える場所にいることは間違いない。
自分にはやや大降りの射篭手は、温度を通さなくとも十二分に感触は伝えてくる。



それだけで十分だ。



それはちゃんと報告せねばなと、は一つ頷いた。


「………あと、風…助かった。」


最後の最後に聞こえた感謝の言葉は、今まで刺々しかった言葉を感じさせないくらい柔らかかった。




■□■□■□




忍隊から報告を受け、急遽数名の手勢を連れそちらへと向かう。

佐助と殿が先行していると伝え聞いてはいたが、殿が攫われたと聞いては居ても立ってもいられず、気が付けば流鏑馬の衣装のまま馬に跨っていた。
慌てて止めに入る忍隊に、小助にしばしの間任せると言葉を残し、駆け出していた。

上田から南にある外街道に出るには大通りを通過するのが、最も距離が短くてよいが、通りに面した場所は所狭しと店が並んでいる。
もちろんそれに比例して人通りも多い。
馬で疾走できるわけがなかった。
遠回りになるが、人気のない川沿いを行くのが早いと判断し、鼻先をすぐさまそちらへと向けた。

川沿いの道は早馬が駆けられるよう、街からは少し離れた場所に通った裏道のようなものだ。
背にはニ槍の朱雀を携えたまま、武器から発せられる肌を焼く熱に煽られる様に、速度を上げた。

外街道沿い、一定距離で据え付けられている地蔵尊の近く。
幸村も知っている場所だ。

ほんの僅か手前で二頭ほど街道傍の草むらで遊んでいる馬を見て、手勢の一人に頷くと、その影についてきていた忍隊と共に馬のほうへと回収するために駆けていった。
遠目から見ても、栗毛の肌艶が調った馬だ。
盗まれたものに違いない。

しかし、幸村が気になったのは、馬が人を乗せることなく放たれていたという事。
佐助が放ったのか、盗人が放ったのか。
どちらにせよ、佐助達は接触したに違いない。

揺れる馬の背の上、目を凝らすと大きな欅の袂、古びた地蔵尊がようやく目に入った。
地蔵尊の前には殿を抱えた佐助の姿も見える。
その腕の中、あまりにぐったりしたの様子に、幸村は馬の背から飛び降りるように佐助に駆け寄った。


「佐助えええええ!!」

「げっ…旦那が何で…。」

殿は、殿はご無事なのか!!?」


掴みかからんばかりの勢いで迫ると、佐助の腰が引けるように一歩幸村から遠ざかる。


「大丈夫ですって!っていうか神事は!?打ち合わせは!?何で旦那がここに来るの!」

「小助に任せておる。」


だから大丈夫だと言えば、信じられないものを見るように目を見開き、口はわなわなと震えるばかりの佐助に、どうしたのだと首を傾げる。
ちゃんと責務を完全に放棄してきたわけではないにもかかわらず、どう見ても佐助の表情は不満しか浮かんでいない。


「堂々と言う事じゃないよねそれ!?思いっきしすっぽかしてんじゃん!…って言うか、今、この時、何か街で問題が起こってたらどうするの!」

「甘利殿もいらっしゃるぞ。」


己以上に上田に心血を注ぎ、上田の街を発展させる礎の一人となった甘利殿が間違った判断などするはずもない。

事実、甘利殿ほどの武将になれば一つの街を任されてもおかしくはないにもかかわらず、高齢だから後進に道を譲ると指導に回っているのだ。
これ以上ない助っ人だ。
例え小助で俺が抜けたことによる穴を埋められない事態に陥ったとしても、甘利殿ならば丸く治められる手腕を十二分にお持ちだ。
むしろ甘利殿ですら放棄せざるを得ないことならば、己が裁けるかどうかが危うい。

安心しろと自信ありげにきっぱりというものの、やはり佐助の表情は納得していなかった。


「そういう問題じゃないでしょうが!」


ちょっとは城主としての自覚を…とぶつくさ言い始める佐助を背に、周囲を見渡す。

とりあえず殿は無事だ。
怪我をしているのを誤魔化しても意味はないのだから、事実だろう。

転がって呻いている数名はすでに忍隊が縄をかけている。
これで全員かと佐助に問うと、渋い顔で一つ頷いた。
盗まれたという馬の数は足りないが、そちらも忍隊が回収に向かっているという。

ならば大丈夫かと、顔を上げて、頬が赤く腫れた殿の顔が目に入った。


殿は怪我をしておるではないか!すぐさま戻って手当てを!」

「いや、これくらいは…。」

「しかし、流鏑馬も控えておりまする。一度城に………ん?」


その時になって、ようやく俺は己とまったく同じ顔をした存在に気が付いた。
言葉を区切って思わず目を見開く。


顔から普段の衣装からすべて同じ。


さすがに流鏑馬の格好はしていないが、選んで手にしている武器も同じ朱雀だ。


このように姿かたちが同じとなると…。


ようやくの心当たりに、幸村は同じ顔をしてに寄り添う幸村に声をかけた。


「………こちらは…もしや天狐殿か?」

「は?」「え?」「はぁ!!?」


たちがいっせいに驚きの声をあげる。
自分の主と同じ容姿の人間が飛び込んできたときからできるだけ触れないよう後ろを向いていた佐助ですら、どうやったらそういう思考になるのかわからないといわんばかりに素っ頓狂な声だ。
思わず突拍子もない事を言い出した幸村のほうを見てしまっている。

しかし、幸村としては自分と同じ容姿であるがゆえにそちらの方が気になってしまって、佐助にまでは気が付いていない。
間違っていたのであろうかと、首を傾げる前に動揺を隠しきれていない佐助から声がかけられた。


「…い、いや、待ってよ、旦那…な何言って…。」

「天狐殿は某に姿を変えられたではないか。佐助や小助でないとなると、天狐殿の化けた『猿田殿』ではないのか?」


あれほどまでに寸分違わぬ己の姿となるとそれこそ変化できるものは限られてくる。
佐助はもちろんだが、ここ最近小助もほとんどのものが見破られぬほどまでなってきた。
そう感心する己が、もう一人…その変化の術に舌を巻いたのが、あの武田道場でであった天狐殿だ。
しかも、流鏑馬に参加するために今は上田へと来ているはずなのだ。

だからこその確信であったにもかかわらず、この場にいる誰からも最後まで肯定されなかった。


うわぁ…いろんな意味で…旦那殴りてー……。


ぶつくさと口の中で言葉をかみ殺す佐助の言葉は、幸村には聞こえなかった。




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