第七話




 これは見事だと、思った。
 厩に足を踏み入れたとたんに、視界にずらりと並ぶ馬たちを見て、はしばし言葉を失う。
 これまでもを眺めると同時に厩の様子は見ていたのだが、こうして近づいてみると迫力が違った。
 見える限りでは、ほとんどが鹿毛や栗毛の馬であるようだ。どの馬も毛艶がよく、引き締まりつつもしっかりとした四肢を持っている。
 が手にしている桜色の飾り房は自らが手配したものだと聞いたのだが、本来上田の流鏑馬には武田の伝統色である紅色の飾りが使われるのだと言う。
 この馬たちが、揃って紅に着飾って立ち並ぶ様はさぞ勇ましく、美しいだろうと想像に難くない。
 足を進ませる。
 知らない人間の気配に反応した馬たちが鼻を鳴らして首をもたげるのを、その一頭一頭の眼を見ながらはゆっくりと、静かに進む。貴方たちの敵ではない。それが伝わるように。
 にとっては馬は乗る際に「用意されている」ものであり、こうして厩に足を踏み入れたのは初めてだったが、馬の扱いはある程度心得ているつもりだ。小田原にいたときも、甲斐や上田に来てからも、所謂愛馬と言うような決まった馬はいなかったが、どの馬であっても戦場では生命を預ける大切な相棒になる。
 鹿毛の馬たちを眺めるのも飽きなさそうだが、の今の目的はあの見事な青毛の、の愛馬だ。まだ大人ではないから、この棟にはいないのかもしれないと思いながら左右にずらりと並ぶ馬たちを見つめていく。はどこだろう。
 進むうちに、ふと眼を惹かれるものがあった。
「!」
 栗毛、の部類に入るのだろうか。一般的な栗毛よりもその毛色は明るく亜麻色に近いような淡い色で、それだけなら特段珍しくはないのだが、その顔や体に白茶の斑(ぶち)があるのだ。鼻先や四肢の色が違うというものはよく見かけるが(例えば鹿毛馬も鼻先や四肢は黒い)、このように全身に散るような斑毛を見るのは初めてだった。少々くすんでいるようにも見える色合いが、しかしには優しい色に思える。もちろんくすんでいるのはその毛色の意味で、他の馬たちと同様手入れの行き届いた毛艶はすこぶるいい。
 その馬が、こちらへ首を動かす。眼が、合った。
 預かりものの桜色の飾り房を懐に収めてから、そっと右手を伸ばして鼻筋を撫でてやると、体毛と同じ淡い色の長い睫毛に縁取られた眼がわずかに細められる。
「・・・・・・、ああそうか」
 どこかで見たことがあるような眼だと思った。
 その双眸が、幸村のそれと似ているのだ。
 きっといい子なのだろう。
「何してる!」
 背から叱責の声が飛んできて、は振り返った。
 そこに仁王立ちしているのは、この厩で働く人物で、よくと言い合いをしている若い男だ。と言い合い、という時点でにとってはあまり好感度の高い人物ではなかったが、他でもない本人が彼のことを悪くは言わないのでそういうものなのだと一応納得はしている。そもそもが他人のことを悪く言うところなど想像がつかないが。
 名前も聞いた。確か、
「・・・・・・宗秀殿」
「ッな、なんだよ俺の名前知ってるのか」
 驚いた様子の宗秀の眼を、ひたりと見つめる。
殿が。宗秀殿は馬の世話にとても長けていると言っておられた」
 その言葉に他意はなかったのだが、宗秀は眉を持ち上げて鼻から息を吐いた。
「はぁ、お武家さまにそんなこと言われるとは、コウエイですよ」
 棘のある、皮肉めいた響きだ。
 はしかし、平坦な面持ちを崩さなかった。
「わたしではない。殿が、そう言っておられたと、言ったぞ」
 あくまで淡々としたその言葉に、宗秀はいよいよ眉間に皺をよせたが、彼が何か言う前には続けて口を開いた。
「この辺りの馬は、貴方の担当だろう?皆、健康そうな良い馬ばかりだ。殿の貴方に対する評価は正しいと、わたしも思う」
「・・・・・・、なんでこの棟が俺の持ち場だって知ってンだよ」
「違うのか?貴方はいつもこのあたりにいると思ったのだが」
 伊達に毎日の仕事ぶりを見ていたわけではない。
 何か言い返そうとしたらしい宗秀は、しかし言葉が見つからなかったらしく、何度か口を動かしてから渋面を作った。
「あんた変わってるな。曲がりなりにも『お武家様』が何をそんな熱心に厩なんか見てるんだよ」
 言葉の丁寧さは失われたが、棘はなくなったと気が付く。
 彼の言葉は正しく、「馬を用意する側」と「用意される側」には越えがたい身分の差があるものなのだ。は生まれたときから武家の跡目として育ち、家督を継いだ。実質的な権力はほぼないに等しかったとはいえ、相模国主の直参であったからには相応の身分にはいたのだ。
 宗秀の声色はしかし、そうした身分の差に卑屈になるわけでもなく、ただ興味や好奇心での問いであるように聞こえた。
「・・・・・・わたしの家はもう、ないから。武家というのは名ばかりだ。確かにこれまで厩に足を運んだことはなかったが、」
 そこで一度言葉を切る。
 思い浮かぶのは、いつでも笑顔を絶やさず馬たちと向き合うの姿。
 毎日毎日あの力仕事に携わるのはおなごの身にはもちろん、並大抵の者には相当な体力と気力が必要であるはずだ。さらに一頭一頭の体調を管理し、整え、鍛える、その細やかな気配りや深い知識も必要とされる。にも到底真似できるものではない。
 遠乗りや戦があればそこにいて当然であった馬たちは、そこに携わる者たちの弛まぬ努力があって、万全の状態で準備されているのだ。
 そのことをは、ここに来て、――と出会って、初めて知った。
「貴方たちの仕事は、厳しく、尊いものなのだな」
 そう言って口の端をわずかに上げたの顔を、宗秀は仏頂面で見つめてから、大きく息を吐いた。なんだか色々言いたいことがあったはずなのにどうでもよくなってしまった。
「・・・・・・それで。に用か?」
 話題を変えるような宗秀の問いに、は一度瞬きをする。
「ああ、そうだったのだが、今はこの子に見惚れていたのだ」
 そう言って、先ほどの淡い栗毛の馬へ視線を動かす。
「優しい眼をしている。いい子だな」
「やっぱりあんた変わってるわ。妙な毛色だろ?お武家の方々にはあんまり人気がないと思うけど」
 苦笑交じりの声色。確かに戦場においては、ここにいる大半のような鹿毛か、もう少し色の黒い青鹿毛の馬などが映えるのかもしれない。はそういったことに関心がないが、武将という者は名を知らしめるため、馬だけでなく鎧兜の色形などにも凝って見栄えを気にするのが常だ。
「確かに、変わった毛色だ。このような斑は見たことがない」
「まあね、こういう柄のヤツは生まれてすぐ死ぬことも多いから」
「そうなのか」
 が、馬から宗秀へ視線を戻す。
「では、このように立派に育ったのは、ひとえに貴方の愛情ゆえだな」
「・・・・・・」
 宗秀の顔から表情が抜ける。こういう顔を何と言うのだっただろうか。驚いたような。
 ああそうだ、「鳩が豆鉄砲を食ったような」。
「〜〜〜〜〜〜ッ、!」
「はい?あれちゃん、」
 馬の列からが顔を出す。そのへ、宗秀が小声で怒鳴った。小声なのはもちろん、周りの馬たちへの配慮だろう。
「こいつちょろちょろさせとくな!」
「す、すみませんっ」
「待て。貴方のそれは照れ隠しによる殿への八つ当たりではないのか。わたしは勝手にここまで、」
「いいからもうなんでもいいから!こいつどうにかしろ!」
 呼ばれたが近づくと、あくまで変化に乏しい表情でつらつらと正論を述べるに、宗秀は何やら赤くなったり青くなったりしている。
 あっけにとられたが、そのうち口元を押さえる。我慢しきれなかったらしい。
「・・・・・・ぷ、」
「なっ、笑うな!」
「だって宗秀さん、うくくく、」
 宗秀の顔が噴火しそうだ。それを、馬たちの手前必死に我慢しているようだった。
 何やらよくわからないが、が楽しそうなのでよかった。はそう思って、自分も少し口の端を上げた。







 忍びは耳が良い。その会話は全て、聞こえていた。
 これまで毎日、根でも生えてるのかと疑うほどに、が働いている間この濡縁から動かなかったが、唐突に厩に入っていくなどという謎の行動を起こしたので、佐助は幸村と会話を続けながらその様子を窺っていたのだ。
 ・・・・・・何、アレ。
 厩の宗秀は、仕事には熱心で事実として優秀ではあるのだが、少し頑なというか、思い込みに偏りがあるのが玉に傷だ。もはや過去の笑い話だと本人は言うだろうが、上田に来たばかりのに難癖をつけていたことも佐助は忘れていない。
 恐らく彼は、を気に入っていないはずだった。そもそも「取り澄ました武家のご令息」は嫌いな部類であるだろうし、そのがやたらと構っていることも面白く思っていないようだった。厩の仕事に影響が出るから、だろう。
 その宗秀が。
 ああもあっさりと陥落するとは。
 しかも、あんな歯の浮くような褒め言葉で。
 一体何なのだ、あの小娘は。
 あの無表情で何を考えて、あんな言葉が口から出てくるのか。
 理解に苦しむ。
 先ほどの会話を振り返れば、彼女は「天狐仮面」を知っていた。アレは、武田道場に参加した者しか眼にできないはずだ。つまり彼女は「武田信玄」や「真田幸村」にある程度認められているということだ。そしてさらに、「天狐仮面」が「猿飛佐助」と同一人物だと知っているということは、「猿飛佐助」ともある程度親しいということになる。
 ・・・・・・アレと、親しい?
 ありえない、と思う。
 彼女と親しくできるなんて、よほどのお人よしなんじゃないのか。
 「真田幸村」が女たらしで、「猿飛佐助」がお人よし。何その異世界。気持ち悪い。
 しかしそう考えると、初対面のときの偽物呼ばわりも理解はできる。そりゃあ俺様誓ってお人よしじゃありません。
 ということは、の正体は、の推す「異世界の来訪者」説がやはり最有力というのか。
 釈然としない。
 だいたい、祭り前のこの時期というのが疑わしさに拍車をかけているのだ。
 漸く幸村の治政も波に乗り始めたとはいえ、上田はまだまだ、言うなれば新興の土地で、まだその基盤は盤石とは言い難い。祭りに乗じて何かしら企てようとする者がいないはずがなく、実際にそういう者たちの取り締まりに今も忍隊は走り回っている。
「そうだ旦那、もひとつ耳に入れときたいことが」
「何だ?」
 いまだ流鏑馬の覚書を読んでいた幸村が顔をあげる。その耳元へ、手で口元を隠して耳打ちする。
 その内容に、幸村がぴくりと眉を動かした。
 祭りがあるとなれば、商人たちもこぞってやってくる。貨幣の流れは町を豊かにするからそれ自体は歓迎すべきことではあるのだが、「商人」というモノは「坊主」と同じくらい忍びが変姿に使う職だ。実際このところ、怪しい商人が複数確認されている。口から語る出自や出所と、実際売る商品やその言葉の訛りの辻褄が合わないような者だ。普段であれば尻尾を見せるまで泳がせるところだが、人手不足の今はそうもいかない。間違いがあってからでは遅いのだ。怪しいと判断した段階で早々に上田から追い払ってはいて、今日もひとり半ば脅して追放した。
 捕縛したり殺したりする方が佐助以下忍隊としては楽だが、それをしないのは具体的な尻尾を掴まないままコトに及べば市にも少なからず不安が広がるだろうからだ。せっかくの提案で里に活気を呼び込もうとしているのに、それが損なわれるようなことがあってはならない。
 怪しげな商人の報告に、幸村は眉根を寄せて息を吐く。
「やはり、何事もなくというわけにはいかぬか」
「仕方ないよねえ、祭りってだいたい危険がつきものなわけだし」
 特に最近の上田はの発案と幸村の努力で少しずつでも着実に発展してきている。そこに邪な関心を持つ者は少なくないだろう。
「まぁ怪しいって言い出したらあの子なんかその筆頭だと思うけど」
 皮肉交じりに言うと、幸村がこちらを見た。
殿か?」
「他にいる?」
「・・・・・・お前はよくよくあの者が苦手のようだな」
 幸村の言葉に、佐助が眉を持ち上げる。
 苦手。
 俺様が、あの小娘を?
「待ってよ旦那、どこをどうとったらそうなるのさ」
「違うのか?お前、殿を避けているように見えたから」
「逆でしょ。向こうがこっちを避けてるんでしょ」
 呆れたように言っても、しかし幸村は首を傾げる。
「そうだろうか。俺にはそういう風には見えぬが・・・・・・」
 いやいや。
 その眼は節穴ですか。
「はあじゃあいいよそれで苦手ってことで」
 棒読みのように言うと、幸村が眉を下げた。
「そう拗ねるな。だいたい殿はそのように悪い者ではあるまい。殿とも仲良うしておられるようだし」
 拗ねてません、という言葉は飲み込んだ。なんだか言えば言うほどどツボにはまりそうだと気が付いたからだ。
 そして傍らの幸村をじとりと見つめる。アンタの判断基準は全部ちゃんなのか。
 佐助の胸中など知らぬ幸村は、なるほどと呟いて一人でうなずいている。
「そうか、お前は嫉妬しておるのだな?殿が殿にかかりきりだから」
 一瞬何を言われたのか分からなかった。
 顔色は、動かさなかったと、思う。
「ちょ・・・・・・ッ、アンタまた何を、だいたいそういうことなら旦那だって似たようなこと考えてるんじゃないの?」
「何を言う。あのように親しくされるようなご友人だ、殿が喜んでおられるなら何を妬むことがある」
「・・・・・・」
 そんなこと言ってたらアンタ、そのうちちゃん掻っ攫われるよ?
 いやそんなこと俺様がさせませんけども。
 返す言葉が思い浮かばなかった佐助は、あは、と乾いた笑みを口元に張り付けた。
 ・・・・・・どうして俺様の味方は誰もいないんだ。








 が「ちび」に会いたいと言うので、を厩の奥に案内した。お目付け役のつもりなのか仏頂面の宗秀も着いてきている。
「ちびちゃん、お客さんだよ」
 先にが近づいて、首筋を撫でてやる。
 ちび、とが名づけた馬は心地よさげに鼻を鳴らした。機嫌はよさそうだと判断して、を招く。
「どうぞ、ちゃん」
「失礼する」
 律儀な礼をして、は柵の内に入ってきた。
 それに気が付いたちびが、ついとそちらへ頭を向ける。とは一度面会済みだから、驚くことはないらしいと、は小さく安堵の息を吐く。
「こんにちは、ちび殿。よい日和だな」
 まだ身体が小さいちびは、目線の高さがよりも少し高いくらいである。その双眸を見つめながら、は穏やかな声で話しかけている。
「先にお会いした時にも思ったのだが、本当に見事な黒色だ。このような完全な青毛は見たことがない。きっと貴方の高潔な心根を現しているのだろうな」
「・・・・・・」
 腕を組んだままの背を眺めていた宗秀が、半眼でこちらを見た。
 その顔に、「これはなんだ」と書いてある。
 はあははと笑って見せた。
 のこれは、正確には所謂「ツンデレ」には当てはまらないと、は思っている。確かに平素のは表情が読みにくいし、あまり口数も多くはないから気軽に話しかけられそうな雰囲気ではない。が、よく見れば表情の変化がないわけではないし、むしろ考えていることが顔に出やすいように見える。その出方が、よく見なければわかりにくいレベルなだけだ。
 そして、そうして見ていれば、は決して周りに敵意を抱いているわけでも、関心がないわけでもないのだということを、この数週間では理解した。
 どちらかといえばは感動屋だと思う。
 物事の小さな変化や、他人の長所の一端を見つけては、聞いているこちらが少し恥ずかしくなるような褒め言葉でそれを表現するのだ。その相手は人間だけにとどまらない。桜だろうと馬だろうと何でもありだ。
 つまりに言わせれば、は「ツンデレ」ではなく「常にデレ」なのである。
 に視線を戻すと、が先ほど預けた桜色の飾り房を取り出していた。
 それをちびの口元に当てて実際に飾ったときを思い浮かべているようだ。ほら、口元の緩み方とかもうでれっでれ。かわいいったらない。
ちゃん、それ」
「先ほどの房をな。ちび殿が付けるところを見たくなって、来てしまったのだ」
 確かにちび殿には紅より薄紅のほうが似合うな、とが小さく笑うので、も笑顔でうなずく。
「でしょ?桜色かわいいよね!」
「成長したちび殿が、桜色に着飾って、そこに殿が颯爽と跨る姿もさぞお美しかろう」
 理解はしていても、いきなり来るとちょっとどきりとしたりはするのだ。
「え、っと、そうだね、ちびちゃんが大きくなるまでには乗れるようにならなきゃ」
 ちなみにに褒められた場合、それを下手に謙遜で否定すると、さらにそれを覆さんと言葉の限りを尽くし始めるので少し面倒なことになる。褒められたら素直に受け取っておくのが正しい対応だと、も割と早い段階で思い知った。
 の考えていることなど気が付いていないだろう、はちびから視線を外さないままつぶやくように言う。
「・・・・・・そのころにはわたしはもう、ここにはいないのだろうな」
「そんな寂しそうに言うんじゃないの、ちゃんにはちゃんと帰る場所があるでしょう」
 めっ、とまるで小さな子どもを相手にするように眉を持ち上げてみると、こちらを向いたが眉を下げた。
「そうだな、貴方の言うとおりだ。情けないことを言った」
「情けなくなんかないよ?それだけちゃんがここを気に入ってくれてるんだとしたら、私は嬉しいな」
「!そ、そうか!」
 あれ。
 なんでそこで赤面なのかな。
 かわいいんだけどたまにそのリアクションがどこから来るのかわからないこともある。
 まあ真田さんの「破廉恥」の基準もよくわからないし、この時代のこれくらいの年層の子たちは皆そうなのかと納得しておく。
「ときに殿は、流鏑馬を見るのはお好きか」
 赤面を納めたに問われて、は小さく首を傾げる。
「え?うん、好きだよ?みんなすごくかっこいいから」
「そうか!」
 若干前のめりな返事をして、がくるりと宗秀に向き直った。
 それまで胡散臭そうな顔をしてのやり取りを眺めていた宗秀が、驚いたように肩を動かす。
「宗秀殿。貴方の許可があれば、上田城の者は流鏑馬に参加できると伺った」
「は?あ、あぁ、そうだけど」
「それは、わたしも含まれるか?わたしも流鏑馬に出ることは可能だろうか」
「え?」
「って、ちゃん怪我は!」
 目を丸くした宗秀の声と、身を乗り出したの声が同時だった。
 の方を見て、口の端を上げる。
「もうほとんど痛みもない。当日までには、自由に動かせるようになる」
 肩の骨は折れているはずだったが、確かにここ数日ははもう三角巾を外してしまっている。佐助からも傷の治りが速い体質なのだと、聞いてはいる。
 でも、と言いつのろうとしたが、すでには宗秀に視線を戻していた。
「つってもお前、馬乗れるんだろうな」
「これでもわたしは武人の端くれだ。幸村殿ほどとまではゆかぬが速駆けも自信はあるし、流鏑馬の経験も一応はある」
 の返事を聞いて、宗秀が息を吐いた。
「・・・・・・わかった、ただしその腕が完治してることが条件だ。あと直前でもいいから一回走るところを俺に見せること。その段階で無理だと判断したら参加は取り消しだ。いいな?」
「ありがとう!恩に着る!」
 今明らかに、の眼がぱっと輝いたのを、は見た。宗秀からも見えたはずだ。仰け反り気味に「お、おう、」とか答えている。
「そうだ宗秀殿、もし乗る馬を選べるのなら、先ほどの淡い栗毛の馬に乗ってみたいのだが」
「あー、あいつならたぶん他に誰も乗りたがらないだろうから、別にかまわんが」
 淡い栗毛。さきほど二人が話していた馬だ。宗秀が特別可愛がっている馬で、のお気に入りでもある。あの子は確かにかわいい。斑の入り方なんか特に。
 それにしても。
 この上田に来てからというもの、居候である自分の立場に遠慮してか、が何かをしたいと言い出すところを見たことはなかった。
「・・・・・・、何かあったの、ちゃん」
 このモチベーションはいったいどこから。そう思ってが聞いてみると、がこちらを見た。
「うむ、どうやら負けられぬ戦いになりそうゆえ」
 現代にいたころに観た、サッカー日本代表の国際試合のテレビ実況みたいなことを言って、が鼻から息を吐く。
 の頭の中にははてなマークが並ぶ。早々に誰か対抗心を燃やすような相手ができたのだろうか。とは言っても、が会話をしているような人物の中で、流鏑馬に出そうな者といえば幸村くらいだ。忍隊は流鏑馬には参加しないから、(の気がかりではあるが)仲のあまりよくない佐助は除外である。
「とはいえ、この恰好では締まりがないか・・・・・・、まあ裾を括ればどうにかなるかな」
 自分の姿を見下ろしてが呟いている。
 今のは、上着は基本的にのもの(以前佐助から譲ってもらった古着なので元々は佐助のものなのだが、なんだか言い出せずにいる)を貸していて、袴はここに来たときに穿いていたものをきれいに洗って使っている。
 流鏑馬は確かに、決まった装束があるのをも知っている。城の武将たちや幸村は作法通りに着飾るが、一般参加者は馬に乗れさえすれば平服で問題ないはずだ。
 しかし、ここでの頭にはある考えが降りてきていた。
 佐助のお下がりの中に、確か鶯色のものがあったはず。何用なのか無駄に高価そうな生地だったからまだ一度も着ていないものだ。あれなら裾が絞ってあるから馬に乗っても大丈夫だろう。行縢(むかばき)や射籠手(いごて)は幸村のお古が借りれるといいが、無理だったらなくてもいいかもしれない。
 あの淡い栗毛の馬には、鶯色の着物が映えるはず。
 そしてそこに、桜色の房飾りを合わせれば。
 ・・・・・・春らしくて、絶対にかわいい!
「大丈夫ちゃん、衣装のことは任せておいて!」
 これ以上なく上機嫌にそう言って、はにこりと笑った。




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