第六話 「んふふふふ!見て見て、ちゃん!」 とあるものを後ろ手に持ったまま、は二人に近づいた。 桜もかなり花が綻び、開く瞬間をもう一日か二日で迎えるといったところ。 祭りの準備もあわただしくて、徐々に暖かくなってきた陽気のせいで街も城も人も馬も、すっかり浮き足立ってしまっている。 まぁ、私もそんな中の一人だけど! 「じゃーん!この薄紅の房!かわいいでしょう?」 まだまだ若くて人を乗せるには早いちびちゃんでも、ちょっとくらいお祭りに参加させたいなーと思って。 ちびちゃんのお祭り専用のくつわ装飾を土下座する勢いでお願いして作ってもらったりしました! 他の流鏑馬に参加する馬たちは武田軍色の真っ赤な房が公式だけれど、ちびちゃんは女の子だし、褐色よりも黒色の肌には薄い色の方が映えるだろうし、祭りに参加しないこともあって、私の我侭を聞いてもらったものだ。 薄紅色というか桜色に見えて、かわいいし嬉しい。 この房、本当に色がいい。 実は染物屋さんに掛け合ったとき、最初薄紅はできないと拒否された。 その時期に薄紅に染め上げる原料がないからと断られたのだ。 でもね、ふふふ、現代の知識を舐めてもらっては困る。 とある本で読んだ草木染の話の中に、春前の蕾が出るか出ないかの頃の桜の皮を煮て染めた桜染めがあったのを思い出したのだ。 確か、桜の木が薄紅の花を春に咲かせるために、冬の間全身でその準備をするだとかなんかの内容だったはず。 それを使用すれば染まると太鼓判を押して、ちゃんと理由も話して、半信半疑だった染物屋さんに試しにしてもらって。 そして出来上がったこの薄紅の房…はぁぁ、何回見ても綺麗すぎてため息が漏れる。 今では、それを来年の売りにするために桜の木を裏庭に準備していると感謝の手紙が先日届いたくらいだ。 桜染めはここでもあるものだけど、あくまで桜の色に似せた顔料を使用するもので、桜自身を使用したものは今までなかったらしい。 やはり似せた顔料では、あれほどまでに淡く、優しい色が出せたことはなかったらしく、感謝仕切りだったと言う。 むしろ感謝したいのはこちらの方なのに! 我侭を聞いてもらえただけで、本当に嬉しかったし、何より、こんなに綺麗に染め上がるなんて、私自身も思ってなかった。 やっぱり写真よりも実物の方が綺麗だもんね! 染物屋さん太鼓判の染色は、きっと誰が見ても美しいと賞してくれると自信を持って言える。 もうそれをちびちゃんにつけてあげられるお祭り当日が楽しみで仕方がない! 目の前に掲げる房に二人の視線が集まった。 「これはまた、見事な色でござる。ここだけ先に桜が咲いておる。」 「お、さすが真田さん目ざといですね!これ、桜染めですよ。」 「桜?紅で染めたのではないのか…。」 本当に桜が咲いているような薄紅にが右手を伸ばした。 はいと渡すと、受け取った彼女がそれを膝に乗せ、優しくその房を撫でる。 まるで桜色の子猫を愛でているようだ。 「これは本当に見事だ…。」 「ねー!ちなみに二つ、大きくなった時の分も用意してみたの。」 そういって、ちゃんに渡したのよりもさらに大振りな房を、隠していた背から出した。 それをちゃんの膝の上に乗せると、桜色に染まった猫の親子がくっついているように見える。 房を眺めるちゃんもほうとそれに見惚れていてなんだか可愛い。 それを覗き込む真田さんもまた…興味津々で。 くそう、このわんことにゃんこ、撫で繰り回してやりたい! そううずうずしていると、厩の奥からさぼるな!と言う宗秀さんの怒号が聞こえてきて。 自腹切ってまで作った房を少しくらい自慢してもいいじゃないですか、けち! はぁとため息をついて、房を眺めている二人に、汚したらいけないからと房を預かってもらって。 は小走りで厩に戻って行った。 ■□■□■□ が厩に消えたのを見計らって、佐助は二人の背後へと降り立った。 旦那は俺様が来たことに気付いてる。 彼女は…気が付いてるけど、無視している。 無視と言うか…警戒してぴりぴりしている。 なんかすっごい嫌われていると分かる態度に、ひくりと口端を動かした。 この数日、旦那はちゃんたちに付きっ切りで。 ようやく甲斐に行っていた間に溜めていた書簡も平素並に減ってきたところだ。 つまり、切羽詰らなくなれば時間に余裕も出てきて、目の前にいる旦那に対して、苦手な(しかも身元不明で怪しい)女の子なんだよ!?分かってる!?って肩を揺すぶりながら説得したくなるくらいに二人は会話を交わしてしていた。 まぁ、内容なんて天気か桜か馬か、あとちゃんの話しくらいしか話題がないけど。 よくもまぁ同じ内容を、ほんの僅かな変化だけで会話をもたせることができるもんだと、感心してしまう。 比較的誰彼と区別なく社交的な旦那にかかってしまえば、彼女の殻も徐々に柔らかくなってきて。 自然に旦那と会話できる程度までには感化されているらしい。 以前は旦那が一方的に話しかけていたけれど、時々は彼女からも声をかけることがあるみたいで。 その変化にいち早く気が付いたのは彼女でもなく、旦那でもなく、実は結構心配していたちゃんだった。 それに、上田城の連中とも、忍隊とも話しかけられれば逃げることなく応対しているし。 彼女にとって唯一の例外はちゃんと俺様。 ちゃんは雛の刷り込みよろしく、完全なまでに心を許しきっている。 多分、ちゃんが刀持って振り下ろしたとしても、彼女は一切抵抗することなく刃をその身に受けるかもしれないと思うくらいに。 そして俺様は…そんなちゃんとは正反対で、縄張りに踏み込んできた天敵ですかと言わんばかりに無条件で警戒してくる。 別に彼女と仲良くなろうなんて微塵も思っていない身からすれば、どうでもいいことではあったけれど、旦那や才蔵にはそこそこ気を許し始めたって言うのに、何で俺様だけそんなに態度を崩されないのかが非常に不本意で。 向こうにいるとか言う、俺様、一体何をやらかした…とひくつきながら乾いた笑いを浮かべる程度に威嚇されてしまえば、最早歩み寄りすらできないんじゃないかと思う。 むしろこっちも意地になって話しかけるもんかなんて対抗心まで出てきてしまって。 いや、うん、そう言うのも含めてどうでもいいから。 冷静に物事を対処しようとするけれど、なんか神経を逆撫でされると言うか…。 あれなんだよね、ちゃんを守りますって言う顔がなんか…。 それこそ俺様の役目だから、しなくていいし。 むすりとした表情をしそうになって、慌ててちゃんが消えて言った厩のほうを見る。 うん、大丈夫、宗秀と今日も元気に口喧嘩してる。 ほんの僅かに聞こえてきた言い合いに、ふっと表情を元に戻した。 だからこそ、俺様の苦々しい表情を見て気を揉むちゃんを見るのも申し訳なくて、こうやって用事があるときはわざと席をはずした時を狙っているんだけどね。 「旦那、流鏑馬の順番、目を通しといてだって。」 懐からひらひらと順番の書かれた紙を出す。 祭りの準備に現在忍隊は全員出払って働かされている。 場所の設営なんかは一般兵士が行ってくれているのだが、この祭りに乗じて悪さをしかねない人間の取り締まりだったり、警備強化の塀作りとか、今日も忍隊は猫の手も借りたいくらい忙しい。 俺様も許されるなら日がな一日ぼーっと桜だけ見ていたいよ。 いや、別に今のは彼女に対する嫌味じゃないから、念のため言っとくと。 「ん?毎年くじで決めるのではないのか?」 俺様が差し出した文を受け取りながら、それを開く。 その横に座る彼女は、それを見ることなく前方の桜に視線と顔を固定させたままだ。 …そんなに俺様を視界に捕らえるのが嫌か。 ははと旦那に笑いつつ話しながらも、心の中ではこのやろうと思ってしまった。 もちろん、そんなこと旦那の前じゃ顔になんて微塵も出しませんけど? 「それが、今年は飛び入りも参加させようって話だってさ。あと、旦那がトリも決定だし。」 「ふむ…。」 旦那が書いてある人名に視線を走らせ確認していく。 一応、俺様も先にその名を確認している。 城からの参加予定は8名ほど。 旦那含め、全員が武将だ。 この8名だけが元々から流鏑馬をする予定だった。 警備の問題上、一般参加を募ることはかなり反対したのだけれど、上田が城下町として発展して来た場である以上、新しい人間の受け入れをあらゆる面で検討されていて。 そういった昔ながらの祭りに新しく住まった人間を参加させたら古くからいる住民と一体感が生まれるんではないかと、祭りの運営をほぼ取り仕切ってる武将に助言した人間がいたわけで。 ほんと、相変わらず言う事的確すぎて泣けてくるよ、天女様。 おかげで仕事が増えて俺様…というか忍隊全員悲鳴上げてるんだけど。 予定では一般参加者組みを前座と言う形で先にさせてしまってから本命の武将達に移ると言う流れらしい。 そして最後が城主である旦那と言う寸法だ。 いくら一般参加を募ったとしても、流鏑馬はただの乗馬で終わるものではない。 一応俺様の見積もりとしては、乗馬しながら弓を引く動作ができる一般人がいるとは思っていない。 逆にいたら兵士として雇うとか能力検定も兼ねられそうだけども。 つまりは、本格的な武将達が出てくる前の前座に当たるわけだが…能力がなければ、例え馬を所有していたとしてもただ走り抜けるだけで終わってしまうだろう。 あるとすれば…城内で騎馬を扱ったことある有志くらいだろうか? 一応前座である以上、そういったこともできる忍隊たちには参加を不可としているから、そこは心配していない。 というか、当日警備もあるって言うのにそんなお遊び前座に参加されてたまるか。 …一般参加を許可して一番怖いのは、とある奥州にいる手放し運転が得意な国主様とその従者が来る事くらいだ。 あの二人が来てしまったら…前座にならねーよ。 むしろお忍びだろうがなんだろうが来やがったら、全力をもってして帰っていただく。 忍隊総動員してでも追い払わなければならない。 といっても、春に豊穣を願う祈年祭は、越後に次いで米どころの奥州では外してはいけない行事だ。 来ることは絶対ありえないと自分は思っている。 おそらく完全な素人で怖いもの見たさの若者が数名、城内からの有志が10いるかいないか。 自分たちの役目としてはその素人たちが落馬して怪我しないよう見張っとく、くらいかな? そういった計画の詳細を知らされていない旦那も、一般参加というのを聞いて眉間に皺を寄せた。 「武将や兵士ならともかく…一般人の参加は怪我の危険が伴うのではないか?」 「馬持参者のみだってさ。馬なんて高級なもん、普通の農民だとそろえられないしね。まぁ、神事として行うんじゃなくて場所と弓矢を提供するだけの心積もりって話らしいよ。」 あと、普通一般の人が気楽にやって簡単にできない事を見せて、そのあとに旦那達に射抜いてもらうわけで。 普段鍛えている旦那がすごいと言う事を知らしめるためと…そういう城主に守られている国は安心と言うのを新旧問わず集まった民衆に植えつけるためだ。 そういう意味にも取れる前座、だった。 いやー、ほんと天女様、国主は無理にしても宰相とか向いてるんじゃない? 「あと…上田城内の人間は宗秀と交渉次第では誰でも参加できるって話らしいぜ。」 「…その条件はいささか厳しくないか?下手な乗り手であれば、宗秀は騎馬の使用許可を与えぬぞ。」 「だから、あえて、なんだろ。何人かはちゃんに泣き落としした方がいいんじゃないかって言ってたぐらいだし。」 むしろ甘すぎて膨れ上がったりでもしたらどうするんだよ。 もう、警備の忍隊全員で当日任務放棄するよ? 憮然とした表情で口の中で文句を言っていると、いつになく珍しく、桜に視線を固定させていた彼女がこちらを向いた。 表情は無表情で読み辛いったらありゃしない。 ちゃんの愛想の十分の一くらい持っててくれてもいいんじゃない? 何?とちらりと視線を走らせて問うと、これまた珍しく口を開いた。 「天狐仮面殿が参加しに来るのではないか?」 「………は…?」 目が点になるというのはこれのこと。 彼女の口から出た『天狐』の単語に、時が大いに止まった。 最も止まったのは俺様一人だけだったけれど。 旦那は嬉しそうに大きな声で懐かしいと目を輝かせているし。 「!天狐殿が!それは楽しみでござるな!」 いや、旦那、楽しみとかそんなんどうでもいいから、ちょっと黙ろうか。 「え、ちょっとあんたなんでその名前を…。」 落ち着け、あれを見られたとか…本気で? 恥ずかしさでここを今すぐ立ち去りたいんですけど! いやいや、冷静になろう。 あの道場は一回きりでその後は行われていない。 というか、俺様が参加したのはあの一回きりだ。 そして、あの時彼女…と言うか忍隊を除いた中に女は一人もいなかった。 もちろん、救護班として活躍したくのいちたちは全員把握もしている。 ということは…まさか向こうの俺様も…同じ事をしていたと言う事か!? はっとなって彼女を見ると、ふっと笑ってこちらを見ていて。 見られたくないものを見られ、知られたくないものを知られた自分からすれば、彼女のこの笑みは底意地の悪いいやらしい笑みにしか見えないんですけど! 「私の知り合いにも、そう名乗った腕のよい忍びが一人いる。」 俺様のことじゃないですかー、もう嫌だなーあははー。 ………向こうの俺様に会う事ができるなら塵あくたになるまで切り刻んでやりたい…。 自分とまったくの同じ顔に対してうっすらを殺意を乗せて、でもそんな非生産的なことできるはずもなく。 深くついたため息で殺気を一緒に吐き出してやった。 ■□■□■□ 流鏑馬の計画の文を見て、二人がああでもないこうでもないと言っているのを、はじっと聞いていた。 もちろん、聞いていてもそのまま頭から押し出して行っているのだが。 もう、腕を固定するための三角巾は外されている。 無理に動かして傷が開いてはと言う事で、動かせる範囲だけ動かしている。 徐々にであっても、勘を早く取り戻すためと、これ以上衰えさせぬためだ。 そして、その傍らには、自分の刀がある。 昨日、幸村自身からの手に渡されたものだった。 幸村からの、信頼の証のようにも思えた。 少なくとも自身は幸村やに対して傷つけるためにここにいるのではないと理解されたのではないかと思った。 といっても、刀を返された日から再び佐助が自分の周囲をうろうろとしだしたのを見て、彼自身はの事を未だに疑ってかかっているのだなと言う事がよく分かった。 つまりはあれだ。 獲物を渡す事で行動してくれないだろうかと思っているのもあるんだろう。 事実、今まで牽制にも似た警戒を振りまいて傍にいたのに、こちらが注意を払わなければ分からないほどに潜伏している佐助に気が付いたのは、最初は偶然だった。 が水桶を持ったままこけようとしたときに、咄嗟にその水桶を支えたのは他でもない佐助で。 少なくともその時自分も幸村も、佐助が傍にいたことに気が付かなかったくらいだ。 つまり隠れてまで己を見張り、行動を僅かにでもすれば己を屠るためにありとあらゆる手段を用いようと舌なめずりしているのだろう。 あいも変わらず食えぬ男だと、眉を寄せる。 そして、その間柄に心を痛めているのは他でもない殿で。 からすれば佐助からの妥協を待ってはいるのだが、無表情のそれが、不信感一杯の佐助からすれば拒否とも取られてしまうことなど露ほども知らない。 つまりは修復されるどころか、こじれる一方で。 これで、確かに愛想などがあればまだ事態は好転していたのだろうが…。 憮然とした表情で膝の上にある桜色の房を撫でる。 なんと優しい色なのだろう。 一足早く春が膝の上にやってきた。 まるで殿の心根のようではないか。 それをわざわざ自分たちに見せに来てくれたことも嬉しい。 彼女自身の喜びを共有させてもらえた、それすらも構ってもらえることに捉えられるにすれば、その大事なものがある膝上がくすぐったかった。 このように愛される馬は、幸村より賜った黒馬だと言う。 一度だけこの目で見たが、なかなか肌艶のよい駿馬だった。 まだ若くて、人を乗せるには早すぎるが、将来間違いなく一番駆けを狙えるほど引き締まった体躯をしている。 その黒艶の肌には、この桜色がとてもよく似合うだろう。 そしてそれに乗ったもまた映えるに違いない。 …その時自分はもう殿の傍にはいないのだろうが…。 そう思うと…ほんの少しでもよいから、この房をつけたあの黒馬の姿を目に焼き付けておきたくて、はおもむろに立ち上がった。 かたりという音がなり、濡れ縁と刀の柄が擦れた音を立てた。 その音にぴくりと反応したのは佐助だけだった。 それをは特別気にすることなく、皺のよった袴を、自由に動かす事のできる右手で伸ばしていた。 本来ならば、刀を差し出されたとしても自分は拒否するべきであったとは思う。 それを受け取ったのは、二つの理由があった。 一つは幸村殿から直接返されたこと。 彼の思考など佐助ほど複雑ではないから、単に返したかっただけなのかもしれない。 だからこそ、それに応えようと思った。 武器があればそれだけで相手に対して牽制になることもある。 殿を守る一つの手段を手に入れたようなものだ。 そしてもう一つは…刀の重さを忘れないためだ。 体と心が刀がない状態に慣れきってしまう前に、身につけて、自分は刀を奮う人間なのだと、忘れないようにしたかった。 受け取ってから、いつもの右側を陣取る幸村との間に刀を置けば、それだけでも信頼と言うものになったやも知れない。 それすら無視していつもの左に差しているのは、その慣れを思い出すためでもあった。 あと、未だに自分は左手を万全の状態で使用することはできない。 そんな状態で刀を、右手だけで抜こうものなら必ず引っかかって抜くことができない。 下手すると自らを傷つける諸刃の刃ともなるだろう。 奇しくも左肩を怪我したことで、今のは刀を身につけることができていた。 それを理解できぬ佐助ではないはずなのだが…彼の態度は相変わらず頑なだ。 「…御前を失礼する。」 二人にそう声をかけ、房を持ったは、厩のほうへと歩いて行った。 ←back next→ |