第五話




 城を空けていた間に溜まっていた政務について、あれやこれやとひとしきり引き継ぎを受けた後、室内に一人になった幸村は、眼の前に積まれた書簡の山を見つめて小さく息を吐いた。
 己が未熟なのは重々承知だ。時間がかかろうが、ひとつひとつやっていくしかない。
 とはいえ、何より先に確認したいことがあった。
「佐助」
 呼ぶと、音はたてずに背後に気配。
「どーも旦那、大将はお変わりなく?」
「うむ、ますます漲っておられた」
「・・・・・・それもどうかな」
「して、佐助。あの『』というおなごは、何者か?」
 主人の問いかけに、佐助は顔を上げた。
「あれ。ちゃん言ってなかった?」
 あえてはぐらかすように答えると、幸村は床に手をついて身体をこちらに向ける。
殿のご友人、と聞いた。しかし、殿にはこちらに旧知の知り合いはおられぬはずだろう。お前が黙って見ているということは、・・・・・・少なくとも殿に危険はないのだな?」
 これが普通の反応だ。佐助は幸村のその言葉に、安堵すら覚えた。
 ただの『友』なんて間柄が普遍的に信用に足るものだなんて、この戦の世はそんな考えがまかり通るほど甘くはないのだ。幸村は戦場を駆ける武将として、それをよく理解している。  この半分でもいい。
 に、もう少しでも危機感があれば。
「・・・・・・今のところは、『たぶん』としか言いようがないんだ」
「・・・・・・『たぶん』?」
「天女様は、本気でお友達だと思ってる、ただあの子については、わからないことが多すぎる」
 困ったように視線を一度泳がせてから、佐助は幸村にこれまでの経緯を説明した。
 左の肩に銃創、さらに数か所切り傷があり、戦闘直後の状態でに発見されたこと。もちろん戦いの気配なんて、微塵も感じなかった。の仮説では、同様別の世界から来たのだという。彼女の言葉を信じるなら、その別世界はこことまったく同じで、「真田幸村」や「猿飛佐助」が存在しているらしい。そんな夢物語のような出来事が起こり得るのか。
 の名乗りは一応調査した。しかしはっきりとしたことがわからなかったのだ。相模国主・北条家には確かに風のバサラを持つ家臣の存在があるらしかったが、よほど名のない武将なのかそれとも秘匿なのか、配下の忍びに小田原城下を探らせてもそれらしき人物には至らなかった。
 持ち物からも身元がわかるようなものはなかった。刀はどう見てもその辺で二束三文で売っているようなものだったし、他には少しの銭を持っていたくらい。
 唯一、気がかりがあるとすれば。
「旦那さぁ、昔俺様が手拭いとか道着とかに刺繍してたの覚えてる?」
「おお、そういえばそんなこともあったな。『弁』であればまだ簡単なものを、元服してすぐだったから全て『幸』と縫ってくれた」
「そのうちのひとつをね、あの子持ってるんだ。なんでも『幸村殿からいただいた』って」
「俺、が・・・・・・?」
 幸村が、怪訝そうに瞬きをした。
 それを見て、佐助は嘆息する。
「そうだよね、心当たりなんかないよね。旦那がまさか、女の子に――あれじゃあ女だとわかるかは微妙だけど、まあとにかく女の子に物をあげられるなんてどうも考えられないし」
「・・・・・・お前俺をなんだと」
 馬鹿にしておるだろう、と何やらもごもご言っているが、そもそも赤面の状態で言われても何の説得力もない。
 そう、やはりあの手拭いをが持っていたことが一番の謎だ。
 そしてそれに納得のいく理由をつけられるとすれば、の言う「別世界からの来訪者説」なのだ。その別世界の真田幸村は、もしかしたらものすごい女たらしなのかも。
 ・・・・・・想像したくはないが。
「ま、そーいうわけで。とりあえずはあの怪我が治らないことには追い出そうにもちゃんが黙ってないからさ、ここに置いとく間は俺様が眼を離さないようにするから」
 旦那は気にしないでと笑ってみせると、幸村は赤面を消して思案顔を作った。
「その怪我は、如何ほどで治りそうだ?」
「どうだろ、バサラ持ちらしいから二、三週間あれば、ってとこかなぁ」
「しかしその間ずっとお前が張り付いているわけにはいかぬだろう?祭りも近いと言うのに」
「それはそうだけど・・・・・・、でも他に適任がいないっていうか」
 才蔵だけじゃ心もとないし、他に動ける奴が今はいないし・・・・・・、と言い訳じみた言葉を並べる佐助を幸村はまっすぐと見つめる。
「合いわかった、では俺があの者を見張るとしよう」
「は!?」
 ぶつくさつぶやいていた佐助が弾かれたように顔を上げた。
 対して幸村は当然であるかのような顔でうなずく。
「俺が傍におれば、万が一殿に危害が加わりそうになっても対抗できよう?」
「いや旦那仕事!」
「その言葉そっくり返すぞ佐助。何、書簡が相手の仕事ならここでなくともできよう。だからお前は安心して出ていいぞ」
「いやいや何言って、」
「それとも佐助」
 佐助の声を遮って、幸村がじいと佐助の眼を見た。
 炎の宿る双眸だ。
 その目元から頬にかけて、わずかに朱に染まる。
「お前まさか、あの者を見張るというのは建前で、本音は殿を見ていたい、・・・・・・などと申すのではあるまいな?」
「ちょ・・・・・・っ!アンタなんつうことを」
「どうなのだ!そのような、は、っ破廉恥な理由であるならば、即刻――」
 まさに掴み掛らん勢いの幸村に、佐助は慌てて首を横に振った。
「そんなわけないでしょ違う違う違うってば!わかったわかった俺様自分の仕事に戻ります!」
 まくしたてるようにそう言って、佐助は姿を消した。
 その闇色の残滓を払うようにしながら、幸村が天井に向かって叫ぶ。
「ッな、まだ話は終わっておらぬぞ佐助ェ!」
 その声は城中に響き渡り、先ほど退室した甘利が戻ってくるほどだった。










 今日も晴天に恵まれた。
 漸く厳しい冬からも解放された、人を含めた生きものたち全てが待ち望んだ春だ。
 こういう日はまだ手が悴むほど冷たい水もなんとか我慢できなくはない、は水桶を持ち上げながら上機嫌にそこまで考えて、ふと思い出して視線を巡らせる。
 この厩をちょうど見渡せる日向の濡縁。ここ数日そこは、の傍を離れようとしないの特等席だった。会話をしていないときでも、は右に左に動くを黙って目で追っている。まるでねこじゃらしを追う子猫のようだ。手を出したいけど出さぬよう我慢しているような。興味津々なくせに、それを悟られまいと隠しているような。おかしくてかわいいその様子が、最近のの上機嫌の理由のひとつである。
 が、今日になって変化が生じた。
 濡縁には今日も今日とて、が背筋を伸ばした正座で座っている。その視線はではなく、――漸く蕾が綻びはじめた桜の木に固定されていた。が声をかければきちんとこちらを見て受け応えするも、会話がなくなればまた桜に顔ごと視線を固定している。あの姿勢では肩が凝るのではないかと心配だ。
 頑ななまでにが視線を動かさないのは、恐らくその隣を視界に映さないようにするためなのだろう。
 の隣には、幸村が腰を下ろしている。
 先ほど山のような書簡を両手に抱えてやって来て、に「隣、よろしいでござるか」と尋ねた。城主の登場にすぐさま平伏して退席しようとしたを引き留めたのも幸村で、やはり城主に引き留められては断れないらしく、そのままふたり並んで腰を落ち着けることになった。
 幸村が何をしているかといえばただそこで書簡に眼を通したり、時折忍びを呼び寄せて二、三言いつけたり、要するに仕事をしているようだった。
 眼が合うと、満面の笑みで手を振ってくれる。ああ振り千切れんばかりの尻尾が見えそう。
 どっかりと腰を落ち着けてマイペースに仕事中の幸村と、そちらを見ないように必死になって気を張っているらしい
 ・・・・・・大型犬と、威嚇する猫、みたい。
 何のために幸村がここに現れたのかはわからない。単にここが日当たりがいいからかもしれない。もし現れたのが佐助であればとしても放ってはおけないのだが(佐助とはどうにも相性が悪いらしい)、幸村であれば大丈夫なのではないかという気がして、特に口は挟まずにいる。
 彼女にとって「真田幸村」がどういう存在なのか、も薄々感づいてはおり、「同じ顔の赤の他人」に警戒する気持ちはわかるのだが、それでもそうやって周囲に気を張ってばかりでは、気疲れしてしまうことの方が心配だった。
 初めてを見たときの光景が、頭に浮かぶ。ひどい怪我をして、ひどく周囲を怖がっていた。向こうの世界でがどういう暮らしをしていたのかはわからないが、の口ぶりからするに、すぐ傍に「戦い」があるということが当然の暮らし、だったのだろう。
 ならば、せっかく眼に見える範囲内には戦いのない「ここ」に来たのだから、ここにいる間くらいは穏やかに過ごしてほしい。
 戦いを知らぬ自分の、理想の押し付け、あるいは偽善ともいえることだと、は自分でも理解している。
 それでもには、できれば笑って過ごしてほしい。その方が怪我の治りだってきっと早いはずだ。
 そして、そうやって人を穏やかに感化させることに関しては、幸村の右に出る者はそういないとは思っている。
 何しろあの佐助が感化されているのだ。
 の知る幸村ではないとしても、上手くいくのではなかろうか。
 ――若い女を見るだけで赤面してしまう幸村が、の隣で大人しくしているのは、恐らく彼女を女だと思っていないからなのだろう。
 そのことに関してはに対して失礼な気がしなくもないが、とにかく幸村さえ歩み寄ってくれればきっと事態は好転するはず。
 どうしようもなさそうだったら、助け舟を出すことも考えたうえで、を見つめる。
 頑張って、ちゃん!






 自分の右側から感じられる気配が、眩しい。
 はそう思いながら、先ほどから見上げている桜の木の、蕾の数なぞを数えている。
 本音を言えば、すぐさまこの場を離れたかったのだ。
 幸村が現れたとき、無理を通してでもこの場から立ち去るべきだったのかもしれない。
 確かに今の自分はただの居候の身で、城主たる幸村の前でそんな無礼を働くわけにはいかないのだが、それでも退席する理由など考えればいくらでも思い浮かんだはずだ。傷が痛むからとか(あながちそれは嘘ではないし)、気分がすぐれない(これは仮病だ)とか、何なら用を足しに行きたいとかでもいい。
 それでも、ここを離れられなかった。
 違う人間なのだと頭ではわかっていても、やはりこの幸村も「真田幸村」なのだ。
 その隣はやはり、あたたかいと、知っているから。
 ――あたたかいのに、こころが薄ら寒い。
 何故、だろう。
 この上田城に来て数日、ずっとこころの中が妙な具合だった。
 あるべきものがそこになくて、ぽっかりと穴が開いているような。そこから隙間風でも吹いているような。
 風が使えないこと、それも確かに不安要素のひとつではあった。
 にとって、風を使うことは、呼吸をすることと同じ。飛ぶためや戦いのためだけでなく、日常から気配を読むために無意識に風を使っているので、それができない今はどこか視界が狭まったような感覚で心もとない。かろうじて自分の近くの、例えば見張りの佐助の気配を感じられるのは、ひとえにあの忍びが「自分はここで見ているぞ」と警告のように気配を発してくれているからだ。
 しかしこころの不具合がそれに起因するものではないことはわかっている。怪我をしたときに風が使えなくなるのは何も今が初めてではない。
 ・・・・・・自分の知る、幸村や佐助が、傍にいないからかもしれない。
 そう思うと、それが自然であるように感じられた。成る程、こころの穴を埋める「あるべきもの」とは彼らであったか。
 確かに昨日、も言ってくれた。自分の居場所は、自分の知る幸村の隣なのだと。
 そうであるならば、この感情は今はどうともできない。放っておくしかない。
 必ず戻ると決意はしたものの、戻る方法がわからない今、できることは一刻も早く傷を治すこと、そして親切に接してくれるここの人たちの迷惑にならぬよう努めることだ。
 肩の傷は出血も止まったし、まだ痛みはあるものの快方に向かっていると判断していいだろう。
 あとは、そう、に、何か返さなければ。
 彼女の存在がなければおそらく自分はここに来た初日に野たれ死んだか、佐助に殺されただろう。万が一今のように手当をしてもらえたとしても、今度は良く知った姿かたちの「他人」たちを前に、心が押しつぶされたかもしれない。
 あの天女のようなひとには、何を返せるだろうか。自分の持ち物ではだめだ、たいしたものは何も持っていない。それならば彼女の役に立つようなことを。
 は何が好きだろう。どういうことに楽しいと感じるだろう。何が彼女を、喜ばせられるだろう。
「桜が、お好きでござるか」
 思いにふけっていたは、それが自分に対しての問いだと気付くのに一呼吸分くらいの間を要した。
「・・・・・・」
 恐る恐る、右側へと顔を向ける。長い時間同じ方向を向いていた首がぎりぎりと音をたてるようだった。
 何らかの書状から顔を上げて、こちらを見ている幸村の顔。
「・・・・・・嫌いでは、ない」
 震えそうになる声を落ち着けて、そう答えると、幸村が笑う。
 何がそんなに楽しいのかと疑問に思ったことのある、あの笑顔だ。
「今年はちょうど祭りのころに満開になりそうで、ようござった」
「・・・・・・祭り?」
「桜祭りでござる」
 桜祭り。
 言われた言葉を頭の中で反芻する。
 上田城は確かに桜が見事だ。それを自分も確かに、見た。
殿はここではない上田城におられたと聞き申した、そちらには桜祭りはございませなんだか」
「・・・・・・どう、だろう・・・・・・」
 上田で過ごした、春の記憶を探る。
 雪が解けて、躑躅ヶ崎から上田に移動して、紅の陣羽織を仕立ててもらって、それで。
「・・・・・・戦が、あったから。祭りがあったのかどうか、わたしには」
 ここで口ごもるのはよくないと、わかってはいた。
 この幸村はどうだかわからないが、少なくとも佐助は自分の存在を疑っている。ここと同じ上田城にいたのなら、上田の催事を知らないのは辻褄が合わない。
 それがわかってはいても。口から漏れる息が震えた。
「そうでござったか」
 幸村は、の様子に気づかぬように、桜を見上げている。
 それ以上の詮索や追及がなかったことに安堵しながら、その幸村の顔を見つめる。
「五穀豊穣を願う祭りでござる。これから種蒔く今年の作物が、よく実るようにと。流鏑馬(やぶさめ)も催すゆえ、殿を含め、厩の者たちも張りきっておる」
「流鏑馬?」
 思わず聞き返した。
 馬で駆けながら弓で的を射るそれは武家の男子のたしなみでもあり、一応にも経験はある。
「貴方が射るのか」
「上田の武将は皆参加しまする。射抜いた的の数で今年の収穫を占うゆえ、このために皆鍛錬を欠かさぬのだ」
「・・・・・・、まさか、殿も?」
 厩の者たちも張りきっていると幸村が言ったその言葉を思い起こして、は眉を跳ね上げた。
 駆け抜ける馬上で弓を引くなどおなごの身には危険だ、そう思って。
 が考えていることを察したか、幸村が眉を下げた。
「あぁ、そうではござらぬ。殿はまだお一人で馬には乗れぬし、ただ、当日は馬たちも着飾るから、体調を整えたり毛艶をよくしたりと、殿も張りきっておいでなのだ」
 そういうことか、とは納得し、そして今も忙しく動き回っているに視線を映した。
「・・・・・・あの方は、厩の仕事を誇りと思っておいでなのだな」
 無意識のようにつぶやいたその言葉に、幸村もの方へと視線を向ける。
殿は、何事にも一生懸命で、おそらくご自分の行動すべてに、誇りを持っておいでだ」
 幸村の声だ、と思う。あたたかくて、穏やかな。
 聞いていると、心が平らかになるような、声だ。
殿が、佐助の反対を押し切って、そなたを助けたのだと聞き申した。殿は某とは違い・・・・・・、色々なことをきちんと考えたうえで、判断をされる。つまり殿は、そなたを信じたのだ」
 ここにきて漸く、幸村がこの場に現れた理由を理解した。
 に危害が及ばぬようにとの、自分に対する牽制。
 そして。
 を見つめる、幸村の横顔。
「・・・・・・貴方は殿を慕っているのか」
「な!?何を、そんな!!某はそそそのような!!」
 唐突な幸村の大声に、少し離れた場所にいたも顔を上げる。
「真田さーん?どうかされました?」
「いいいいいいやなんでもござらぬ、何も!」
 ぶんぶんと、頭の後ろで一房伸ばしている髪がそれこそ犬の尾のようにぶんぶんと振り回される勢いで首を振る、その幸村の朱に染まった顔を見つめて、は口の端を上げた。
 成る程。
 その声の穏やかさや気配のあたたかさ、人としての「根」の部分については、眼の前の幸村は自分が知る彼と同じであると感じる。ただ、細かな感情表現や物事の感受性は違う部分もあるようだった。恋心を指摘されて慌てふためく真田幸村を初めて見た。否、もしかしたらこの幸村の中では、まだ恋心というものは生まれていないのかもしれない。まだそれは、淡い憧れのようなものなのかも。
 耳まで朱に染まった幸村を、何やら微笑ましいと思う。
「もう、真田さん、騒がしくされるとみんなが驚きますから、次大声あげたらご自分のお部屋に戻ってくださいね?」
「な、・・・・・・心得、申した」
「お願いしますよ、ただでさえ春だから、どの子もちょっと浮足立ってるんですから」
 対して、の頭の中は馬でいっぱいなのだろうか。確かに仕事に誇りをもっているのだと感心したところではあるが。
 それでも幸村のことを嫌っているようには見えない。というかがひとを嫌うところが想像できない。
 そうすると、・・・・・・少し頑張らねば、幸村は振り向いてはもらえないだろう。
 そして、とは頭上に感じる気配を察して考える。思うに、佐助のに対する過保護な行動も、その理由はこの幸村と似たようなものなのだろう。
 こちらも、ははっきりとした態度を見せていないから、その想いが通じているわけではなさそうだが。それにしてもあの佐助に、そういう感情があったとは。
 ――当然と言えば当然だ、相手はあの天女さまである。
 きれいで美しくて、そして何より優しくて。
 これで惚れるなという方が無理な話だ。
 ・・・・・・しかし、あの佐助か。
 自分が知る限り、そして恐らくはこの地で出会った彼についても言えることだが、猿飛佐助は骨の髄まで生粋の忍びだ。
 目的のためには手段を選ばない、恐らく必要があれば彼自身の生命であっても何の躊躇もなく切り捨てることができる男だ。
 彼と、恋仲になったとして。が傷つくことに、なりはしないか。
 あるいはそれを悟っているから、佐助はこれ以上には近寄らないのか。
 どちらにしても厄介だ。
 視線を向ければ、仕事にひと段落ついたのかこちらまで来ていたが、はっきりと項垂れてしまった幸村の頭を撫でている。
 その光景に、なんだか心があたたかくなる。
 やはり、には笑っていてほしい。ここにいる限りは、を害するような者は排除しなければ。
 すまないと、こころの内で小さく謝った。恐らく今頃はひどく心配をかけているであろう、自分のよく知る幸村へ。
 すまない、幸村殿。ここにいる間だけ、少しだけ貴方以外の者へこころを向ける。
「あれ、ちゃん」
 がこちらを向いた。少し驚いたように眼を見張ってから、ふわりと微笑む。
 なんてあたたかい笑顔なんだろう。
「何、か?」
「ううん、ちゃんが嬉しそうで、嬉しかっただけ」
 嬉しそう。
 言われて、掌を頬に当ててみる。どんな顔をしていたのだろう。
 ああでも。
 は、を眼をまっすぐと見つめた。
「どうやらわたしも貴方を慕っているようだ、殿」
 のその言葉に、固まった幸村の手からばらばらと書簡や書状が滑り落ちた。

 ・・・・・・そして天井裏から何かをぶつけるような音が聞こえた。




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