第三話 傾きかけた陽が、締め切った障子越しに部屋の中にも入ってきていた。 上田城二の丸の一室、は布団に横たわる少女を、傍らに腰を下ろしてじっと見つめている。 さきほどまで手当をしてくれていた佐助は、が頼んで退室してもらっている。とは言っても、彼がこの場を離れることはありえないから、天井裏あたりにいるのだろう。 得体の知れない人間と二人きりにはさせられないと、佐助はやはり最後まで渋ったが、少しの間でいいからと押し切った。 この子が目覚めたときに、自分以外の人間がいない方がいいと思ったのだ。特に、この子を信用していない佐助はいないほうがいいだろう。 意識を失う前、と名乗ったこの少女は周囲をひどく警戒している様子だった。事情は何もわからないが、突然気絶したのだから、意識が戻ってもしばらくは混乱するだろうと想像に難くなかったし、その状態で同じく相手を警戒する佐助がいると一触即発の事態になりそうだった。彼女の刀は、他の所持品と含めて佐助が持って行ってしまったが、それでもこの少女は「戦うことができる」人間なのだと、は悟っている。 所持品と言えば。 血と水と泥にまみれてどろどろだった着物を脱がせたときに、その懐から出てきた手拭いを見て、佐助が一瞬だけ顔色を変えたのを、は見た。どうかしたのかと聞いたが、「なんでもないよ」といつもの笑顔で答えられて、これはこれ以上聞いても答えてくれないのだなと察した。へらへらと軽いように見えても、そこは忍ということなのだろう。のことに関しては、彼女を拾ったは当事者であり、気が付いたことがあるのなら教えてくれてもいいのにとは思ったのだが、とりあえずはこうして雨風を凌げる場所で手当てを施すこともできたのだから、これ以上佐助にわがままを言うのは憚られた。 ・・・・・・少しくらいは、私を信用して、――頼ってくれたらいいのに。 信じてもらえていない、とは思っていない。ただ、佐助はどうしても、との間に壁を作っているように思う。どんなに薄くても、決して越えられない壁だ。 それが少し寂しいと、思わないわけではない。 「・・・・・・ぅ」 「!」 小さなうめき声が聞こえて、は正座したまま背筋を伸ばした。 そうだ。 とにかく今は、佐助よりこの目の前のだ。 傷の手当はなんとかできた、ここからが本番。 きちんと、話をしなければ。 あなたはどこの誰なのか。何故あんなところで、どうして怪我をしていたのか。佐助がを知らなかったのだから、が上田の人間ではないことは間違いがないだろう。それならば、何の理由でこの地に入ったのか。 ――上田の里に、領主である真田幸村に、害意はないのだということを、の口から聞き出さなければならない。 それができなければ、やはり佐助が黙ってはいないはずだ。 大丈夫。 この子はきっと、悪い子じゃない。 がこころの中で気合いを入れたのと同時、の瞼がゆっくりと持ち上がった。 「・・・・・・」 ごくりと生唾を飲み込んだの見つめる先、は幾度か瞬きを繰り返す。 「・・・・・・、――!」 急速に覚醒したらしい、目を見開いたはすぐに起き上がろうとして、 「ッ、」 「だ、だめだよ、まだ起き上がったら」 肩口の傷が痛んだのだろう、眉をしかめて布団に倒れ込んだを、は身を乗り出して見下ろす。 「まだ傷、塞がってないんだから、無理しちゃだめだよ」 興奮させないように、言い聞かせるように、ゆっくりと言う。馬をなだめるのに少し似ていると思った。真っ直ぐ眼を見て。私はあなたの敵じゃないと、言い聞かせるように。 自分の置かれた状況を把握しようとしているのか、うろうろと視線を漂わせていたが、そしての眼を見上げる。 言葉を探すように、何度か動いた唇から、その言葉が漏れた。 「・・・・・・天女さま」 「っ!」 びくりと、が肩を動かす。 この世界では、を「天女」と呼ぶ人たちがいる。国を導く存在として、皆夢に見たのだと聞いた。佐助もそう言って、ときにを「天女様」と呼ぶことがある。 これはまずい。 「天女」を狙う人物、または国があることを、も知っている。 の目的が、「天女」であるならば。 ・・・・・・もう少し、待ってください猿飛さん!! どこか傍にいるのであろう佐助に、必死に願う。もう少しでいい、時間が欲しい。この子と会話をする時間が。 の内心の焦りなど知らぬ様子で、はの眼をひたりと見つめたまま、言う。 「貴方は。天女では、ないのか」 どうしよう。の目的がわからない以上、はいともいいえとも答えられない。 考えて、は口を開いた。 「どうして、そう思うの?」 これならどうだ。 質問で返したに、は何か不思議なものでも見た子どものような眼で、瞬きをする。 「わたしは、死んだのでは?」 「え」 「ここは死後の世界ではないのか?貴方はわたしを地獄へ誘う天女だろう?」 一字一句きちんと聞き取れたが、意味を考えるのに少しかかった。 何ですかその決めつけは。 自分が死んだとあっさり受け入れて、なおかつ行先が地獄だと言うのには面食らった。 この時代には確か、民間でも宗教が興りはじめていたんだったか。その中に地獄崇拝とかあっただろうか。 考えがあさっての方向に行きかけて、はいやいやと自分に突っ込みを入れた。そんなわけがない。 きっとあれだ、怪我のショックとかで少し混乱してるんだ、きっとそう。 そう納得して、は自分が落ち着くためにゆっくりと呼吸をしてから答えた。 「あなたはちゃんと生きてるよ、ちゃん。怪我が痛いとは思うけど。ここは死後の世界なんかじゃないし、まして地獄でもないし、私もあなたの言うような『天女様』じゃない」 「・・・・・・生きて、る・・・・・・?」 不思議そうにつぶやいて、は右腕をついて、むくりと上体を起こした。 「わぁだから、」 「それは、失礼なことを申し上げた。貴方があまりにきれいだから、天女というものがいるならきっと貴方みたいなのだろうと思ったのだ、無礼を許してほしい」 「起き上がっちゃだめって、・・・・・・え!?」 今。 この少女は何かすごいことを言わなかったか。 慌てて布団に寝かしつけようとしたは腕を伸ばした中途半端な姿勢で動きを止めた。 そのの様子が眼に入らないように、はしばらく自分の身体を見下ろすと、布団の上で右腕だけを使って正座をして姿勢を伸ばした。左腕が動かないことはきちんと理解しているらしいとか、その佇まいはがこれまで接してきた所謂武士の人たちと似ているとか、いろいろなことが頭の中を掠めて行ったが、とりあえずはも姿勢を正す。 「殿と仰ったか。すまない、上田に詰める方々の顔と名前は覚えたつもりなのだが、貴方のことは知らなくて、」 驚きの声をあげそうになったのを、なんとか飲み込んだ。 この子は、ここが上田城だと知っている。 先ほどの「天女発言」は自分が死んだと早とちりしたことによる偶然のものであっても、この部屋ひとつでここが上田城だと判断して、さらにここに勤める人たちを知っているというのは。 偶然、突発的に迷い込んだ、という可能性は消えた。 それはつまり、どう考えても、黒に限りに無く近いグレー。 「・・・・・・、あのね、ちゃん。ひとつだけ、聞きたいんだけど」 ここが、戦の世であると、理解はしているつもりだ。 ひとが、簡単に、傷ついたり――死んだりする、世なのだと。 それでも。 きっと悪い子ではないはずの、この子を、佐助に傷つけさせるようなことは、それだけは。 「・・・・・・あなたは、私たちの、敵、じゃないよね?」 「・・・・・・?」 の言葉の意味を考えているのか、がしばし口を噤んだ。 ゆっくりと一呼吸おいて、はを眼を真っ直ぐと見つめる。 「貴方は、わたしを助けてくれたのだろう?ならば、貴方がどこの誰であろうとも、その恩義をわたしは忘れない」 そう言って、の返事を待たずに、が立ち上がった。 一瞬遅れて、が我に返る。 「っえ、ちゃん!?」 「・・・・・・刀、は、」 まだ左腕は痛むはずだ。それでもすっと立ち上がったが、を見下ろした。ここで、視線を逸らせてはいけないと、は直感的に思う。 「ごめんなさい、今は、ここにはなくて」 また彼女の警戒を買うだろうかと思ったが、意外にもはあっさりと頷いた。 「そうか、致し方ないな。貴方はそこで、動かないでいてほしい。体術は得手ではないが、おそらくすぐに助けは来るだろう」 「何を、」 何を言っているの、と聞こうとしたは、すいと動かしたの横顔の、その鋭い視線に言葉を飲み込む。 中腰の姿勢のまま固まったを、その背に庇うように立ったが、天井の一点を見据えて、静かに言った。 「――何者だ」 本気で死んだと思っていた。 眼が覚めたら見覚えのある天井が眼に入って(なぜ自室ではなく二の丸なのかという疑問は一瞬頭に浮かんだ)、死後の世界とは妙に現実感のある場所だなどと考えたのだ。 そこにいたのは、天女――だと勘違いするほどにきれいな、あの女の人だった。、と名乗っていた。名前からして綺麗だと思う。 当然のようにここにいるということは、上田城の女中のひとり、なのだろうか。記憶にはない人物で、ここは誰彼かまわず入ってこれるような城ではないのだが、万が一危険のある人物なら忍びたちが黙っているはずがないから、単純に自分が記憶しきれていないのか、新しく城に上がった人なのかどちらかだろうと納得した。 それに、からは、こちらに害をなそうというような気配が感じられなかった。 そう、意識を失う前、目覚めた後も、に対して「きれい」だと思った。自分とも、自分が知る他の誰とも違うと感じた、その理由。 ――このひとからは、血のにおいが感じられない。 「戦い」の、気配がないのだ。 相変わらず武器を携帯していないようだし、差し伸べられた掌も刀や槍を握っているようなものではなかった。 何より、自分に対して敵意がない、と思う。 そして、気が付いた。 は天井のその一点を見据える。 誰かいる。 知らない気配だ。 起き上がってみたら着替えさせてもらったらしく乾いて清潔な単衣を着ていて、刀も他に持っていたものもここにはないようだった。刀はともかく、無くすと困るものもあったのだが、それは後でに聞くことにしよう。 それより、そこに潜む何者かと丸腰で対峙しなければならないことが問題だ。 風はまだ使えないようだ。バサラ持ちの人間は、常人よりもはるかに傷の治りが速いのだが、今回のように大きな怪我を負ったりすると、身体がその治療に専念してしまうからなのか、一時的にバサラを使えなくなることがある。個人差があるのかもしれないが、少なくとも自分はそうなのだ。これまでにも経験したことがあったからそのこと自体は特に問題だとは思っていないが、武器のない状態でバサラも使えないのはさすがに心もとない。 「知らない気配」が「潜んでいる」という時点で相手は敵と判断していいだろう。佐助が城に戻ってきているならば、いや万一佐助がいなくとも、他の誰かは気付くはずだ。そのための真田忍びである。誰かが駆けつけてくれるまで、とにかくを守らなければ。 「隠れていないで、降りてこい」 「あの、ちゃん、」 の声が聞こえてそちらに意識を向けた瞬間、眼の前に降り立った影に身構えた。 「!」 の眼が、驚愕に見開かれる。 それは、よく知った、忍びの姿だった。 「猿飛さん!」 「ごめんねぇちゃん、でもここまで呼ばれたんだからもーいいよね?」 大きく見張ったままの双眸で一度を見てから、は目の前に立つその忍びを見上げる。 「・・・・・・さ、すけ・・・・・・?」 無意識のようにの口から漏れ出たその名に、が「え、」と小さく声を上げ、その声に反応したかのようにの双眸が光を取り戻した。 その場で右手だけで身構えて、ぎらりと忍びを睨む。 「貴方は何者だ!」 「ちゃん、その人は、」 「殿、惑わされるな、この者は佐助ではない」 背後の戸惑うようなの声に、は前を見据えたまま斬り捨てるように言った。 忍びが柳眉を持ち上げる。 「・・・・・・はァ?」 その仕草、それに眼の色も髪の色も、暗緑色の忍び装束も。全てがの知る佐助と同じに見える。 だが違う。よくできた変化だと認めざるを得ないが、それでも気配が、違う。 「何者って、名前なら猿飛佐助ですけど。アンタこそ何者なんだよ」 その間延びしたような口調も声色も、確かに猿飛佐助のものだ。それでも、これは佐助ではない。 この者が佐助であるならばなぜ、「何者だ」などと聞いてくるのだ。 「ちゃん、落ち着いて?この人は確かに猿飛佐助さんっていう忍びさんで、私もいつもよくお世話になってる人なの」 いつの間にか立ち上がっていたが、の横からそう言う。 どこかぎこちない動きで、はに首を向けた。 「・・・・・・え?」 そして茫然と忍びに視線を戻す。 どういうことだろう。 「ったくどこの誰と間違えたのか知らないけどさ、」 そう言ってこれ見よがしに溜息を吐く忍びと、の間では、どうやら話が通じているらしい。 ざ、と背筋に悪寒が走った。 そう、気絶する前に上田の山で、この季節に咲くはずのない花を見たときと、同じような。 気配だけを感じ取ったときは全くの別人に思えたのに、だんだんと忍びが「佐助」に見えてくる。 「こっちの質問に答えてくれるかな。アンタ誰?」 確かに、自分と佐助は、言うほど仲良くはないのかもしれない。 それでも、自分にとっては、仲間、だと。少なくともはそう、思っていたのに。 「アンタ誰?」――その声が、心の臓に突き刺さったようで、痛い。 「答えられないならさぁ、これ何?」 そう言って、眼の前につきつけられたものに、が眼の色を変えた。 「っそれは!」 無意識に伸ばした腕を嘲笑うように、忍びがひらりと避ける。 忍びの手にあるのは、手拭いだ。 「幸」の一字が刺繍された、あの手拭い。 「返せ!」 眉を跳ね上げたの様子を見て、忍びが「ふーん?」と声を漏らす。 「返せ、それはわたしの、」 「これさぁ、確かに俺様が刺繍したんだけど」 の声を遮って、忍びが言う。その手拭いの、「幸」の字を見つめながら。 「ほら旦那、昔っから鍛錬の度にいろんなところに手拭い忘れてくるからさ。手拭いったってタダじゃないし、少しは自分の持ち物だって自覚を持ってもらおうと思ってね?」 忍びは笑顔を浮かべている。 その捉えどころのない笑顔は、確かに佐助のもの。 「で、いつだったかの戦で旦那が怪我したときに止血にこれ使って、」 そこで忍びが言葉を切って、に視線を動かす。 その、温度のない眼。 「――使い物にならなくなったから捨てたんだよね、俺様が」 「・・・・・・何・・・・・・?」 「もちろん同じのが何個もあるわけじゃないから。他にも刺繍はしたけど、全部色変えてたから、この色のはこれひとつだけ」 畳み掛けるような、平坦な忍びの声色に、は無意識に半歩退いた。 この忍びは、何を言っているのだろう。 その手拭いは確かに、幸村から譲り受けたものだ。あの躑躅ヶ崎の、見事な紅葉の錦の中で。そのはずだ。 ――それとも自分の記憶がおかしいのか。 そのひとつの思考が、螺旋を描き始める。 どの記憶がおかしいのか。どこまでが本当なのか。何が本当なのか。どれが嘘なのか。どれも嘘なのか。 視界が狭くなるような感覚。眼の奥が痛い。 もしかして全て嘘なのか。夢か何かだったのか。今が夢なのか。佐助は、――幸村は、 「もっかい聞くけど。アンタ、誰?」 「・・・・・・ッ!!」 冷たい声。忍びがこちらに、近づいてくる。 猿飛佐助は、恐ろしい男であると、知っているはずだった。 信用ならないと思ったことも、得体が知れないと思ったことも確かにあった。 だが、 怖いと思ったことは、今までなかった。 「・・・・・・ぅ、ぁ・・・・・・」 怖い。 怖い怖い怖い、 「――もうやめてください」 視界から、「佐助」の顔が消えた。 ぼんやりと眼の前に見えるそれが何であるか、視界が焦点を結ぶまでに一呼吸分の時間を要した。 それは、の背だった。 もう見ていられなかった。 気付いたら、佐助の前に両手を広げて立っていた。 後ろにを、庇うように。 「ちゃん?」 佐助が驚いたように眼を見開いた。 わかっていた、つもりだった。 佐助は忍びで、情報を得るためには色々と手段は選ばないのだ。の想像の及ばないような、もっと手ひどいことだってしているのだろう。 それでも。 これ以上を追いつめるようなことを、ただ見ているのは嫌だったのだ。 「もう、やめてください、猿飛さん。その手拭い、さっきちゃんの着物から出てきたものですよね?猿飛さんが捨てたものだっていうなら、猿飛さんにとっては要らないものってことですよね?なら、返してください」 佐助相手に理詰めで勝てるとはだって思っていない、ただ考え付くかぎりのことを言う。 「後は、私がちゃんと聞きますから。その手拭いは返してください」 それに、の頭にはひとつの可能性が、生まれていたのだ。 この子は、もしかしたら。 「ちゃん、」 佐助の窘めるような、それこそ子どもを諌めるような口調。 それでもに退く気はない。 「お願いです、猿飛さん」 じっと、佐助の双眸を見据える。 わかってもらえるだろうか。 わかってもらえなかったら、残る交渉材料はこの身ひとつかと、そこまで考えたところで、佐助が大きなため息を吐きながら、その手拭いをに差し出した。 「!」 ここまですんなりと納得してもらえるとは思っていなかったは驚きながらその手拭いに手を伸ばし、 「・・・・・・ちゃんは、その子の味方なの」 若干むくれたような佐助の声を聞いた。 あれ。 この感じは、もしかして。 拗ねているのか。 あの佐助が? 顔を上げれば、いつもどおりの忍化粧を施した頬が、わずかに膨れているように見えなくもない。 正直なところ、佐助が拗ねたところなんてなかなかお目にかかれるものではなく、できれば写メのひとつくらい撮りたいところだったが、残念ながら今はそれどころではない。 は別に、だけの味方をしようとしているわけではない。 仮に今、佐助とが別々のことを言ったとして、どちらを信じるかと問われたら、それは付き合いの長い佐助だと答えるだろう。 ただ、ものにはやり方があると、思っただけだ。 そう、どちらかに味方するのではなくて、 「――あえて言うなら、私は私の味方です」 まっすぐと、佐助を見つめる。 しばらくを見つめた佐助は、あきらめたように眉を下げた。 「ったく、ちゃんなんかそういうとこ旦那に似てきてない?」 よかった。 通じた。 「ありがとうございますっ」 は佐助に頭を下げて、手拭いを受け取るとに向き直る。 「・・・・・・、殿」 表情を無くしてただこちらを見ているに、手拭いを差し出す。 「はい、ちゃん」 がその手拭いとの顔を見比べて、そして両手でそれを受け取った。 その手が震えているのに、も気が付いた。 まるで壊れ物でも扱うように、恐る恐るその手拭いを、両手で抱きしめるように持ったと目線を合わせる。 「ね、ちゃん。何を聞いても私はあなたを疑わないから、正直に話してほしいの。あなたは、どこから来たのかな。猿飛さんや、真田さんは、知り合い、なのかな」 「・・・・・・わた、しは、」 震える声でそう呟いたは、そこで言葉を切って一度眼を閉じた。 そして、瞼を持ち上げる。 その双眸が、ひたりとの眼を見つめる。 「わたしは、相模の風使いの一族の末裔。名を、という。故あって躑躅ヶ崎に身を寄せた折に、武田信玄公のご配慮により、真田幸村殿、猿飛佐助殿には大変世話になった。その後真田幸村殿に仕官し、現在は、」 一瞬、躊躇するように唇を噛む。 「――現在は、幸村殿の一臣として、上田城に身を寄せている」 一切の表情がないその顔のなかで、を見つめる双眸だけがかすかに揺れている。 「今日は、朝から幸村殿と佐助と、山に出ていて。突然雨に降られて、その中でどこかの忍びと戦いになった。わたしは肩を撃たれて、崖から落ちたと、思う。気づいたらあの場所にいて、殿に助けていただいた」 「アンタさっきから何を、」 佐助の声がして、はそれを手の動きで制した。 そして、確信していた。 も以前、躑躅ヶ崎にいた。そのころから幸村や佐助は身の回りにいたし、信玄ともある程度親しく言葉を交わしている。その際に一切、の情報はなかった。今日も、雨など降っていない。朝から気持ちのいい晴天だった。 しかしは、嘘は言っていない。 なぜならの眼は、だけを見ているから。 まるでこちらに、信じてほしいと願うように。 ならば、可能性はもう一つしかない。 思えば自分だってそうやってここにいるのだ。他の人間の身に同じことが起こっても何ら不思議ではない。 「ちゃん、落ち着いて聞いてね?あなたは、『ここじゃない別の世界』から来たんだと思う。ここは、ちゃんがいた場所とそっくりだけど別の場所なの」 「ちょっとちゃん!?」 佐助の慌てたような声に、一度背後を振り向く。 「だってもうそうとしか考えられません。『私』が言うんだから、説得力もありますよね?」 「・・・・・・マジかよ」 の言葉に、佐助は呆れたような息を吐く。 の方に向き直ると、はただ眼を丸くしている。 それはそうだろう、信じろと言う方が無茶だ。これを言うのが、以外の人間だったなら。 「いきなりのことでびっくりしたよね?私もそうだったから、その気持ちはよくわかるつもりだよ」 「え?」 茫然としたまま瞬きをしたに、は笑って見せた。 「私も、一緒なの。ここじゃない『別の世界』から来たから。ね、私たち、いい友達になれそうじゃない?」 「・・・・・・」 はしばし言葉を失ったまま、それこそ穴が開くかと言うほどの眼を見つめ続け、 そうして漸く、かすかな笑みを口元に宿した。 「・・・・・・、」 その様子を、佐助は無言のままじとりとした眼で眺めている。 なんだかものすごく面白くない。 ――その理由は、あえて考えないようにしている。 ←back next→ |