第四話




借り物の着物に着替え、温泉へと。


そう気にするものではないとわかっていても、つい何度も着物の合わせ目を確認してしまう。


さすがの私も家族でもない異性との混浴は気恥ずかしいらしい。


逆に、まったくそういう素振りを見せない彼女をちらりと横目で覗ってみる。


職業柄とはいえ、いつまでたっても姫君のようだと揶揄される私の手とは違い、ちゃんと働いている人の手をしている彼女。


現代でいえば、確実に健康的だといわれるだろうほどよく筋肉のついた身体。


それといまの自分を比べてはため息をつく。



「…だから、あんなにも自然に受け入れてもらえるんでしょうね」



猿飛さまの背を流しながら和やかに会話をしている彼女がとても眩しい。


彼女の立ち位置をちゃんと聞いたわけではないけれど、それはきっと努力で勝ち取ったものなのだろう。


私は、この時代で生きていくには恵まれていた。


でも彼女は、ゼロからのスタートだったはず。


それが、いつまでたっても特別扱いの抜けない自分と、彼女との差なのだと気づく。



「……比べるべきことじゃないって、わかっているんですけれどね」



わざと声にだして、自分に言い聞かせる。


考えても仕方がないこと。


いい大人なのだから、ないもの強請りなんてしてもしかたがない。


そう自分を叱咤して、私も怪我をしている猿飛さまの方へと歩き出した。




















「…少し、失礼しても?」

「あ〜、あっちの俺がなにか言いたそうだけど…まあ、見たければどうぞ?」



でも、女の子が見るもんじゃないよ?


なんて言いながら、猿飛さんが立ち上がろうとして足に力を込めるのをさんが手で制す。



「え?」

「傷の確認だけですので、座ったままでけっこうです。楽にしていてください」

「ああ、うん…どうも…」



猿飛さんが驚くのも無理はないだろう。


医者を名乗る彼女が忍である彼相手に膝をつき、先ほどまでとはまったく違う真剣そのものの顔で診断を始めたのだから。


きっと、この時代では信じられないことに違いない。


私は邪魔にならないよう、少しだけ二人から距離をとる。



「…なんで、忍の方って痛がってくれないんでしょうね」

「そりゃあ、駄目でしょ。忍が痛がっちゃ」



非難めいた声でそう呟く彼女に、猿飛さんが苦笑とともにもっともな答えで返す。


けれど、やっぱりその答えは彼女にとって納得のできるものではなかったらしく、さんは少しだけ怒ったような表情で話を続けた。



「皮膚を切り取るまではしなくていいにしても…少し化膿していますし、やっぱり心配ですね…。…真田さま、治療にペニシリンを使う許 可、いただけますか?」

「ちょっ、ちゃん!」



さんの発言に、すぐ反応したのは猿飛さん。


足早にこちらへと近づき、彼女の言葉を撤回させるよう少しだけ怒りを込めた視線でさんを見る。



「あのね、自分の立場わかってる?」



確かに、彼女の一存だけで医療技術を易々と渡してしまってはいけないだろう。


この時代において現代医術がもつ価値。


それがどれほどのものか、考えるまでもない。


でもそれは彼女も重々承知の上だったらしく、話しながらも許しを請うようにして視線を下げた。



「だって…違うとわかっていても、心配…なんですもの。絶対に痛いはずなのに平気で無理するところとか、私が知っている猿飛さまにそ っくりです。それがどれだけ周りに心配をかけているか、もう少しぐらい考えてくださればいいのに…。私も、いつも心配しているんです よ…?」

「ぐ…ぅっ、…」



…あれ、違った。


許しを請うようにじゃない、さりげなくなにか思い出して怒っている。


怒りながら、ちょっと拗ねている。


まさか、全力ではないにしろ怒っている猿飛さん相手に拗ねて返すだなんて…。


なにこの人、ちょっと女性として見習いたい。



「なんか俺様まで遠まわしに怒られてる…?ねえ、そんな気がむんむんするんだけど…」

「ええ、さりげなく痴話喧嘩しながらも猿飛さんお二人に言ってますね…。実は、さんって最強なんじゃないでしょうか…」



うちの猿飛さんとそんなやり取りをしながら、さんに許可を求められた真田さんの方へ視線を向ければ、その隣で湯につかっていたうちの真田さんが目をまんまるにして驚い ていた。



「某、女医にははじめて出会ったが…皆、このように佐助を言いくるめられるほど強いものなのか?」

殿は特別でござる。本心からそう言ってくださっているのがわかるから…誰も逆らえぬのだ」

「どこも同じでござるな…」



そう言って、真田さん二人がこちらに視線を向けたかと思えば…盛大にため息をつかれた。


ちょっとまってください。


正直、私までそのくくりに入れられることに納得がいきません。


真田さんだけならともかく、私に猿飛さんを言い負かすだけの力はありません。


そういう思いを込めてジト目で真田さんたちを睨んでみるも、効果なんてものはほとんどない。



殿、ぺにしりんを使っていただいてかまいませぬ。佐助をきちんと治療してやってくだされ。某も、そちらの佐助のことは他人 事とは思えぬゆえ、異論はござらぬ」

「はい。…ありがとうございます」



まだなにか言いたそうな顔をしていたあちらの猿飛さんだけれど…ある意味、主からの労わりの言葉まで貰ってしまった手前、簡単には口 を挟めなくなってしまったようだ。


苦虫を噛み潰したかのような表情で額に手をやり、ため息をついた。


あちらの真田さんも、猿飛さんのことをよくわかっている。


あれは完璧に、折れた顔だ。


それに満足したかのようにして、さんがこちらの佐助さんに笑顔を向ける。



「猿飛さま、温泉からあがりましたら少しお時間いただいてもよろしいですか?」

「はあ…ここで遠慮するって言っても無駄でしょ…うちの旦那も了承済みみたいだし」

「そのとおりです」

「それにしても…『ぺにしりん』ねえ…聞いたことがないな、そんな薬」

「労咳や梅毒に効く薬なんですよ。でも、感染症の予防にも使うんです。傷が少し化膿していますのでね、念のためです」

「ふ〜ん…って、さりげにすごい薬じゃないっ!?労咳や梅毒に効くって、なにそれ…っ!?」



猿飛さんとさんの会話を頭の中で反復しながら、私も気づく。


あれ、その薬って…もっと後の時代に開発されるはずの薬で…たしか、人類史上でもかなり高度な発見だったような気が…。


……………。


って、そんじょそこらで取れる薬じゃないじゃないですか!?



「ぺ、ペニシリンって、もしかして抗生物質のあれですか!?青カビからできる薬!!」

「ええ、そ…「ちょっ、ちゃん!なにさらっとばらしちゃってんのっ!?っていうか、さんはなんでペニシリンのこと知ってんのさ!」



ごめんなさい、そっちの猿飛さん。


貴方がさんを必死で止めた理由がわかりました。


確かに教えたくないです、こんなこと。


私がぐるぐるとこの薬の利益計算をしている間に、さんが猿飛さんの疑問に苦笑で答える。



「彼女が薬のことを知っているのは当然ですよ。…同郷ですから」

「「「「え」」」」



それまでまったく気づいて…というよりは思いつかなかったのだろうか、二組の男性達が唖然とした表情を浮かべて私と彼女を交互に見や った。


確かに、こんな不思議な存在が二人といたら驚くだろう。



「では、殿も甲斐を導くた…むがっ!?」

「はいはい〜、最初からこっちの手の内見せない」



いつのまに移動したのか、猿飛さんが真田さんの口を塞ぐ。


たぶん、その判断は正しいです、猿飛さん。



ちゃん、いつ話してたの?」

さんと二人になったときに、少し…」

「私たちが推測するに、平行世界がさらに入り混じっちゃったような感じですね。まさか、自分と同じ境遇の人がいるなんて思ってもみま せんでしたよ」

「本当に。まさか…戦に巻き込まれてあちらこちらから火の手があがってる村にいきなり叩き落されるなんてびっくりですよね。しかも私 、ぬかるみに落っこちちゃったものですから『ずべしゃっ』て、音しましたもの。『ずべしゃっ』て」




「「「「「…………」」」」」




「……あれ?」



私からの同意が得られなかったので、おかしいな?と、さんが首をかしげる。


いやいやいや、そんな首を傾げられても同意の言葉はだせませんから!


それよりも、そっちの二人も初めて聞いたって顔してますよっ!?



「ちょっとまってくださいっ!なんですか、それっ!?というより、それはびっくりで済ませちゃ駄目です!!」

「え!?さんは違うんですかっ!?」

「違います!私の方はさすがに…その、詳しくは言えませんけれど、アフターケアがありましたよ!!ここにきたときも、すぐ猿飛さんが 拾ってくれましたし!」

「アフターケア…そうですか…」



どこか遠い目をして呟くさんに冷や汗が垂れる。


いったい、どんな状況で落っこちてきちゃったんですかっ!?




















「奥州にも行ったんですか?」

「ええ、政宗さまや片倉さまと一緒にお仕事させていただきましたよ。少しの期間だけでしたけれど」

「へえ〜…どうでした、伊達政宗公は?」

「う〜ん…こう言ったら怒られちゃうかもしれませんけれど、可愛い方でしたよ」

「え、可愛いんですか!?」


「ねえ…どういう経緯でさん拾ったのさ」

「…村で医者をしていたから、薬売りのふりして近づいて……最終的には山賊にさらわれたところを保護した」

「はあ!?山賊!?」

「そういえば、そんなこともありましたね。懐かしいです」



怪我をしている猿飛さまを除く全員で温泉につかり、なんとなく私の身の上話を続けていると、隣に座っていたさんがもう耐えられないとばかりにため息をついた。



「真田さんたちももう少しこっちに来て、会話に参加しましょうよ〜」

「「無理でござる…!!」」



見事にそろっているその返事に、四人ともがため息をつく。


いったい、誰が真田さまをこんな初心な方に育て上げてしまったのだろう。


同じことを思ったのか、さんと私がそれぞれの猿飛さまをちらりと見やる。



「あ〜、…もう岩だね、ありゃ」

「梃子でも動かないってか。もったいない。旦那ぁ〜、こんな機会滅多にないよ?」

「佐助!お主はどうしてそうなのだっ!?」

「そうでござるっ!そのように、殿や殿に近づくとは…は、はは破廉恥な…っ!!」



主従二人のやり取りを見て、真田さまの今後を心配した女二人がもう一度ため息をついた。


そうでなくても、女中さんたちから何とかしてくれと言われているのに。



「…予想通りですね」

「本当に…」



先ほど、せっかくだから私たちが背中を流そうかと提案して以来、目さえあわせてくれなくなった真田さまたちに向ってさんが言葉を漏らす。



「お二人とも…そこまであからさまに避けられると、さすがの私たちも女として傷つくのですけれど…」



さすがに、いつもはきはきとものを言う彼女がうつむき気味にさらには小声で寂しげに言ったのが効果的だったのだろう。


二人の顔がびしりと固まる。


次いで私もそれに習い、小さく不満を口にする。



「…寂しいじゃないですか」



それを受け、二人の真田さまがあわてたようにして少しこちらに歩み寄った。


こうもうまくいくと…お二人が悪い女性に騙されないかが心配になってはくるけれど。



「じょ、女性に恥をかかせるなど…武士の名折れ…っ…!」



そう言ううちの真田さまが三歩。



「…も、申し訳ござらぬ…!」



そして、あちらの真田さまが、大きく一歩。


ちなみに、まだ足を伸ばしてもつま先さえ届くような距離ではないけれど…お二人にしては上出来だと思う。



「う〜ん…こうしてみると、うちの真田さまの方が多少、本当に多少ですけれど…女性に耐性をつけられているようですね…」

「あ〜…まあ、ちゃんのおかげだね」

「はい?あの、私なにかしましたか?」



急に身に覚えのないことを言われ、そう返せば…今日聞いた中で一番重いため息とともに呆れた声が降ってきた。



「…あのさ…夏の間中、散々薄着で城内走り回っといてそれはないんじゃない?」

「人目がある場所では、もう少し控えてくだされ…」

「そんなに酷い格好じゃないと…「「酷いよ・でござる」」



反論は受け付けないとばかりに二人からそう言い切られ、私は続くはずだった言葉を飲み込んだ。



さん、夏の間、いったいどんな格好でいたんですか?」

「…キャミソールと女中さんに作っていただいた短パンで…あ、ちゃんと上に白衣を着ていましたよ?」

「ちなみに、それを初めて見た真田さんの反応は?」

「…………主の誇りを守るため、黙秘権を施行させていただきます」




















やっと普通に会話できるようになったあちらの三人を見ながら、私はいまだ岩陰に身を隠しながらこちらを覗う真田さんに声をかける。




「やっぱり毎日の積み重ねなんですかね。真田さんももう少し落ち着いてください。別に取って食ったりしませんから」

「そ、そそそ、そうでござるな…っ…」

「そうそう、もう少し気を楽にして。…いい加減、その岩陰からでてきてください」



そっちが来ないのならこちらから、と腰を上げようとしたところでそれを察知されたのか、真田さんがまた一つ遠い岩陰へと移動する。


もう!こういうところは感がいいんですから!


ぷるぷると、まるでどこぞの乙女のように震えながらこちらを見ている彼。


あなた本当に、戦場では紅蓮の鬼とか呼ばれている人なんですか。



「真田さん!」

「某には無理でござるぅぅうーっ!!」

「はあ…」

「そんな重たいため息つかないでよ、ちゃん」

「猿飛さんからも言ってやってくださいよ」

「あ〜…しょうがないなぁ…。旦那、早く出てこないとちゃん襲っちゃうよ〜」

「へ?」

「なっ!?」



言うが早いか、するが早いか。


瞬き一つするほどの間に、私の身体はほどよく筋肉のついた腕に引き寄せられた。


いえ、辛うじて…辛うじて触っても問題のない場所に腕がまわされてはいますけれどね。


温泉に着物一枚でつかっているこの状況でそれは…!



「な、ちょっ…猿飛さん!」

「旦那をおびき寄せるためだから」

「さらっと嘘つかないでください!逆に真っ赤な顔で逃げますよ!」



いつのまにか私の肩に顎をのせている猿飛さんはくつくつと笑いながら、そのままゆっくりと首筋を指で撫ぜ上げる。



「…っ…!!ちょ…ぅ、…」

「あいかわらず…綺麗な肌だよね」



うわぁあああ!鳥肌が…っ!!


無駄に忍の技を駆使しないでください!!


耳から麻薬でも流し込まれたんじゃないだろうかと思うほどに、猿飛さんの声は破壊力がある。


このままでは負ける!と、なんとかして猿飛さんに向き直り、うっかり逃げ腰になるのを堪えながら私はぐっ…と、目に力を込めて彼を睨 みつけた。



「からかうのもいい加減にしてください!」

「いや〜、あっちみたいに俺様がお手本になってちゃんにちょっかいかけてれば、もう少し旦那も耐性つくのかな〜って」

「…また火傷が増えるだけだと思いますので、やめてください」

「そうでござる!」

「…真田さん」



こちらを…というよりは、猿飛さんを睨みつけながらもなかなか近づいてこない真田さんをジト目で睨む。


いや、確かに一番近い岩場までは近づいてくれているのだけれど。


岩陰から部下に意見ってどうなんですか。



本当に、彼が女性と結婚する時はいったいどうなるのだろうか。


さんにはじめてあったとき、もしかしたらなんてことを思ったけれど…。


そんなことを思いだしながら、ちらりと彼女たちに視線を向ける。


どうやら、あちらはあちらで会話がヒートアップしているようだ。




「だいだい、婚姻前の女性がそう簡単に男の前で肌を晒すなどあってはなりませぬ…!!不貞な輩が勘違いしないとも限りませぬぞ…!」

「大丈夫ですよ。こんなじゃじゃ馬、誰も好き好んでもらおうとは思いませんから。ほら、今までだってそういうことありませんでしたし 」

「そのようなことはありませぬっ!現にっ、殿が知らぬだけで、まさっ、むぅ………ぅっ……ま、まさしく…そう!まさしく、佐助が撃退しているだけなのでござる!!」



あ、いまなんか『政宗殿』って言おうとした。


絶対にそう。


私と同じことを感じ取ったのか、猿飛さんがすかさずフォローに入る。



「旦那…ちょっと強引というか、人のこと勝手に使わないでとかいろいろ言いたいことはあるけど…よく思いとどまったね。俺様、旦那の 成長をちょっと褒めてあげたい」

「まさしく?猿飛さまが撃退??な、なんだか話の脈絡がおかしくありませんか…?」

「なんでもないよ、ちゃん。むしろ、旦那がここまで頑張ったんだから、なんでもないってことにしてあげて」

「は、はあ…。でも、いつかは真田さまもお嫁さんをもらうことになるんですから、少しは慣れていただかないと。このままじゃ、お嫁さ んが可愛そうですよ?」



なんだか納得がいかないという顔をしながらも、真田さんを嗜めるようにして言葉を続けるさん。


対して真田さんは、好意を寄せている人にそんなことを言われ、かなりのショックを受けたよう。


…あれ、これってなんていうラブコメディ?



「か、可愛そうでござるか…!?」

「だって、寂しいと思いますもの。ここまで拒絶されると…。私なんかじゃ練習にもなりませんけれど、せっかくの…「練習など!某、晴 香殿に対しそのようなこと微塵も思っておりませぬ…!それに妻にするのなら…!!」

「は、はい?」



がしっと手をとり、温泉の中で見つめあう真田さんとさん。


やれば出来るじゃないかと拍手を送りたくなったのは私だけでしょうか。


けれど、そんな感動もつかの間。


『何か』を直視してしまったのか、みるみるうちに真田さんの顔が赤くなっていく。



「あの?さ、真田さ…」

「…破廉恥でござるぅうう!!…し、叱ってくだされお館さばぁぁあああああーっ!!」



そんな叫び声をあげながら、真田さんは水しぶきをあげながら、風呂の隅まで全力疾走。


自然の岩場を使ったけっこう広い温泉なだけに、その姿は靄と岩陰に隠れて見えなくなってしまった。


あと少しだったのに。


そう思っていたら、今度は少しずれかけた着物を直すようにして、猿飛さんがさんの肩に手をやった。


って…猿飛佐助、その動作は自然すぎるでしょう。


ついつい、人間観察するほうにも熱がはいる。



「あの…真田さまは…」

「大丈夫だいじょうぶ、ただの湯あたり…っていうか、湯あたりだね。そういうことにしておこう、うん」

「あの…なんだかさっきからはぐらかされてませんか、私」

「あは〜、そんなことないよ。それより、せっかくの温泉なんだし…ゆっくり楽しもうよ。ね…?」



うっかり見てしまったこちらが目をそらしたくなるほど、色気を漂わせた流し目。


どうしてだろう、全力で「逃げて!」と、叫びたくなったのは。


けれど、そんなからかいに慣れているのか気づかないのか、さんが見ているのは猿飛さんのただ一点。


ここまで甘い雰囲気を無効化できる人もすごいと思う。


彼女の真剣な声が、低く響く。



「…猿飛さま、この傷…私、手当てさせていただいてません」



す…っと、細められた瞳が、まっすぐに猿飛さんを捕らえた。


これはもしかして、仕事モードに入ってしまわれた…?



「あ、いや、これは…」



慌てて距離をとろうと腰を浮かせかけた猿飛さんに、さんの腕が伸びる。



「………逃がしません」

「…っ!?ちょっ、ちゃん!!どこ触ってんのっ!?まっ…きわどいっ!そこきわどいからっ!!くっつかないでぇえええ!!」

「もう!どうして診療所にきてくださらなかったんですかっ!?この治り具合からみて、先日の任務中ですね…!」

「ちょぉぉおっ!?指で優しく傷口なぞんのやめて…っ!ぞわぞわする!!なにこれ新手の拷問っ!?」

「暴れないでくださいっ!他に怪我は…」

「いやああっ!破廉恥ぃぃいいーっ!」



他に外傷はないかと彼の肌にそって手を動かすさんを同じ女として止めるべきか、このまま見守るべきか。


正直な話、私個人の意見としては…面白いからもう少し見守りたい。


なんて、そんな薄情なことを考えているうちに、先に根をあげたのはあちらの猿飛さんだった。



「流し目なんて使ったりしてすみませんでしたっ!だからもうほんとに勘弁して…!いろいろ吹っ飛ぶからっ!そうなったら困るの ちゃんだからっ!!」

「なにをいまさら!上田城、春の健康診断のときだって全員裸じゃないですか!私はもう慣れましたっ!!」

ちゃん、ここどこだかわかってるっ!?ついでにいまの自分の格好も自覚して!!なんでこういうときだけ思い切りがいいの! ?」




















「………」

殿…?」

「あ、すみません。お帰りなさい、真田さん。ちょっと考えごとをしていました」

「近くにこんだけいい男が二人もいるっていうのに、考えごと?」

「や、いい男というのは認めますけれど。人の恋路を見ているのもなかなか楽しいものでして…しかも、いつも絶対にポーカーフェイスを 崩さない猿飛さんのあんな顔を見られるなんて、滅多にないですから」

「ぽーかーふぇいす…?」



そう言って彼女が指で指し示す先には、確かに…あまり人に見せたいとは思わない顔をした己。


困ったような、それでいて幸せそうな…つまりは尻にしかれている。


いや、それは忍としてというか男としてどうよ、俺様。



「真田さんも負けじと戻ってみえましたし…本当に、ああいう人になら二人はあんなふうになるんですね」



そう言いへにゃりとしまりのない顔をして笑う彼女に対し、盛大にため息の一つもついてやりたいところだ。


なんて思っていたら、俺の分まで旦那が済ませてくれた。


旦那がついた大きなため息に、彼女が首をかしげる。



確かに、あちらの旦那に比べれば、うちの旦那と彼女との間に距離はある。


けれど、普段の旦那を考えてみれば、女の子と一緒に温泉につかるなんて快挙をやってのけているのだ。


それだけで、自分が十分そういう対象としてみられているって、気づかないもんなのかねえ…。


彼女は案外、そういうことには鈍い。



「こっちも十分、指差されて笑われてる気がするけどね…」

「でも、なんでさんは気づかないんでしょうね。人の好意に気づかないような人じゃなさそうなのに…」

「「………」」



いったい、どの口がそんなことを言うのか…!


さすがの旦那もなにか言おうと口を開けかけたが…結局は、なにも言えず押し黙った。


主を応援するべきか、それとも…。



「…いつか、俺様もあんな顔しちゃうようになるのかねえ…」



彼女には聞こえぬよう、音にならないほどの大きさで呟かれた言葉は、あっちの俺から盛大な睨みとなって返ってきた。


俺はそれに苦笑で返す。


大変だよねえ?お互いに…さ。




















温泉から上がり、夕涼みもかねて夜のお祭りへ。


前に来たことがあるという猿飛さまを先頭に、町が見渡せる高台へとのぼれば…どこに道があるか一目でわかるほど、たくさんの灯り。


それらはすべて町の一番奥にある社へと続いていた。



「綺麗ですね…」

殿に喜んでいただけたのなら、なによりでござる」

「ま、もう一人の自分や旦那に出会っちまうなんて、かなり想定外のことではあったけど…来て良かったよね」



不思議なこともあるもんだと、頭の後ろで腕を組みながら木に寄りかかる猿飛さま。


本当に、その通りだと思う。



「さて…と、そろそろ俺たちも帰りましょうか」

「そうでござるな…殿、手を」



はぐれぬように転ばぬようにと差し出されたその手を笑顔で握り返そうとして、急に眩暈に襲われる。


ぐるりと世界が反転したかのような感覚。


そのたった一瞬のことで、差し出された手も隣にいた猿飛さまもが入れ替わる。


何もかもが同じ構図なのに、何もかもが違う。


目の前にいるのは、私を知らない人たちだ。



「…ええと、すみません」

「いや、いいよ。さんのせいじゃなさそうだし」

殿もあちらにいてくださればいいが…」



とりあえず、しゃがみこんでいた私を猿飛さまが手を引き、起こしてくれた。


膝についてしまった泥をはたきながら、三度目の神隠しについて言葉にしながら考える。



「作為的ななにかを感じますよね、この組み分け」

「作為的…でござるか?」

「神様がなんでそこまで協力的なのかはわかりませんけれど…帰る前に、聞きたいことを聞いておきなさいってことだと思うんですよ。… お二人とも、私になにか聞きたいことがあったんじゃないですか?」



私が彼女に出会って思ったこと。


それはきっと、彼らも感じていることだろうから。



「!」

「…似てないようで、似てるよね。ちゃんとさんって」

「大切な人にほど、聞けないことってありますから」



もしかしたら、私が知る二人も彼女に聞いてくれているのかもしれない。


そう思いながら、彼らからの言葉を待つ。



「単刀直入に聞いてもいい?」

「ええ、どうぞ」

さんは帰る方法を知っている?」

「いいえ、知りません。私は甲斐にきた理由さえ、いまだにわかりませんから」



この場に彼女はいない、だからこそ聞けること。


そして、あの二人がいないからこそ私も答えられる。


私の答えに満足したのか、猿飛さまが小さく謝る。



「そう…悪いね、それを聞いてちょっと安心した」

「でも、さんは知っていると思いますよ。…まあ、感ですけれどね」

「…どうしてそう思うの?」

「そうでなければ、説明がつかないことがあるからです」

「仮にそうならば…なぜ、殿は殿にその方法を教えないのでござるか」

「ここにきた意味が違うからですよ。温泉で彼女が使った、アフターケアという言葉。それは、言い換えれば『後処理』という意味。彼女 は、自分がここにいる理由を誰かに教えてもらったんだと思います。教えてくれる誰かがいたのなら…聡い彼女のことです、帰り方も聞い ているはずですよ」

「……確かにね」

「それでも、帰るかどうかは…さんしだいですよ」



もし、私が彼女だったらと考えたのなら…その可能性は否定できない。


眉間に皺をよせ、唸るようにして言葉を捜す彼らをじっと待つ。


少しして、真田さまが彼女に聞きたくても聞けなかっただろう最大のことを私に投げかけた。



「…殿は、もといた場所へ戻りたいと…そう、願っておられるか…?」



私はその質問に、まっすぐに答える。


きっと、答える機会はもうないと思うから。



「帰りたくないとは、言いませんよ。それは、言えないです。…私も、そしてきっと彼女もあちらに残してきたものがたくさんありますか ら」

「………そう、だろうね」

殿や殿が育った国は、いったい…どのような国なのでござろう…?」

「ここよりも平和で、ただ『なんとなく』で生きていける…まるで国全体がぬるま湯のような所でした。きっと、望めばいくらでも楽に生 きることができたでしょうね」

「俺たちにとっては信じられない国だね」

「私たちにとっては、いまのこの国の方が信じられないですよ。人の命が、軽すぎて。たった一つの選択が…重すぎて。軍医という肩書き を貰っていても、自分がここにいる意味がたまにわからなくなります」

「………」

さんのこと、ちゃんと繋いでおいてあげてくださいね」

「え…」



私がそう言うとは思わなかったのか、二人が少し驚いた様子でこちらを見る。



「…いっそ、帰れないぐらい大切なものができた方が考えなくて済みますから。誰かのせいにするのは、酷いやり方だと思いますけれど」



絶対に、私が言わないだろう言葉。


きっと、彼女も彼らの前では絶対に口にしないだろう言葉。



「本当に、そう思われるのか…?」

「…本当に、それでいいの?」



私を通して今ここにはいない彼女に問う二人に対し、私はただ笑う。


その答えは…彼女が決めることだから。




















本当に…どういう理由でこんな模擬尋問を受ける羽目になったのか。


うっかり転んでしまい、差し出された手を握り返そうとしたらまさかのチェンジ。


びっくりするぐらいの早変わりだったけれど、すぐに気づく。


もっとも…私とさんは似ても似つかないのだから、相手の反応で気づくといった方がただしいけれど。



殿!?では…殿はあちらにいってみえるのか…?」

「たぶんね。本当にいったいどうなってんのよ、この祭りは。でもこれは…逆にちょうどいいかもね。…ちょっとだけ、話を聞かせてもら ってもいい?」

「…嫌だといっても無駄じゃないですか」



両手を挙げ、降参のポーズをとる私に猿飛さんがにんまりと笑う。


丁重に起き上がらせてもらい、裾についた葉っぱや砂までもはらってもらいながらため息を一つ。



「ごめんね、でも…どうしてもちゃんがいないときに聞いておきたくてさ」

「はあ…まあ、予想はつきます。きっと、帰るまでには聞かれるんだろうなあ…って、思っていましたから」



こちらの反応に「話が早くて助かるよ」なんて笑顔で返す猿飛さん。


その笑顔には見覚えがある。


もう見ることもほとんどなくなった、あの取り繕った笑顔だ。



「帰る方法、さんは知ってるんだよね?」

「ええ、知ってはいますよ」

「佐助!」



こちらを気にしてくれているのか、真田さんが猿飛さんを咎めるような視線を送っているが、それはいらぬ気遣いというもの。


この二人に聞かれるのなら、出来る限りは答えてあげたいと思う。


そんな私の気持ちを感じ取ったのだろう、猿飛さんが鋭さを増した視線をこちらに向け、さらに問う。



「それをちゃんに言う気は?」

「ないです」

「ふぅん…」

「大丈夫ですよ、私と彼女はここにきた理由が違います。だから帰る方法も、きっと違います」



自分のことは最低限。


でも、彼女は違うと念を押すようにして話す。


実際、彼女と私がこの世界にきた理由は違うということに確信を持っているからこそ、できる話だ。


それでも、いつか彼女が急に帰ってしまうのではないかという危惧を拭い去れないのだろう。


口を噤む二人に、今度は私が問いかける。



さんに帰って欲しくないですか?」

「それは…言葉にするまでもないことでござる」

「当たりまえでしょ、大事な軍医なんだから」



違う。


聞きたいのは、そんな建前じゃない。



「軍医という理由だけですか?」

「そのようなことはござらぬ!殿がいなくなってしまわれたら…城の者も寂しがるだろう」



違う。


それだけじゃ、足りない。



「寂しいだけ、ですか?」

「なにが言いたいの」



そう問うということは、すべてわかっているということ。


怒りを秘めた眼差しに貫かれながら、私はもう一度、二人に問う。



「………わかりませんか?」



少しの沈黙ののち、諦めたようにして真田さんが口を開く。



「……そのようなこと、口にできるわけがなかろう。その身勝手な願いが、どれだけ殿を苦しめるか…わかりきっている」

「身勝手と決め付けてしまうのは、もったいないと思いますけどね」



欲しかった言葉を貰え、ふっと気が緩む。


それを面白くないと、不機嫌を隠すこともしないで猿飛さんが私を睨む。



さんは俺たちの枷をはずしたいわけ…?」

「私の言葉一つではずれるぐらいの枷なら、放っておいてもいずれはずれますよ。そんな枷なら…いまはずして、さんを安心させてあげたほうがいいじゃないですか」

「安心、とは…?」

「はたから見ていて思います。さんも迷っているんだって。だって…気づかないわけがないです、絶対に。気づけないって…自分の中で決めちゃっているんで すよ、きっと」



大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出す。


彼らが私にしか聞けないように、私も彼らにしか言えないことがある。



「正直、私は迷っています。まだ帰るべきときじゃないから、選択を迫られていないから…そうやって、答えを先延ばしにしてはいますけ れど。…迷っていますよ、真田さんや猿飛さんのことが好きですから」

「………」

「でも、怖いんですよ。選ぶのって」

殿…」

「…安心しなよ、あっちの旦那も俺様も…そう簡単には選ばせてあげないと思うよ。さんが気づかないうちに、本当なら選ぶべき道、塞いじゃってるはずだから」



まるで、そうすることが当然とでもいうように猿飛さんが未来を語る。


その顔は、私が知っている猿飛さんにそっくりで…つい私も、いつものように返してしまった。



「それも、酷い話ですね」




















お互い、違う二人に連れられて宿に戻った後は、特に何を話すでもなく眠りについた。


なんとなくだけれど…同じような話をしたんじゃないかと思う。


だから、卑怯かもしれないと思いつつも彼女の選択を確かめたくて、私は帰る直前になって、久しぶりにあちらの世界の文字を綴った。





「…これ、私の携帯アドレスです」

「え?」

「もちろん、戦国時代ですから圏外ですよ?だから…もしも二人ともが現代に戻ったら、連絡がとれるかもしれないというだけです」



腕を伸ばした先にある、小さな紙。


彼女がそれを取るかどうか、それがまるで自分の選択かのように思えてしまう。


ほんの少し、彼女が考えるような素振りをみせ、そして笑う。


やっぱり、自分と同じ選択を彼女はする。



「なら、意味がありませんね」

「そうですね、きっと使えないです」



お互いに卑怯な私たちは、二人同時じゃなければ使えないのだから…なんて、自分の選択を先送りにして、外から私たちを呼ぶ声に、まる であわせたかのようにして、同時に足を踏み出した。




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