第一話 馬にブラシをかけていると、私の名を呼ぶ声が徐々に近づいてきた。 ここにいるのは誰しもが知っていることだから、そのうちここに来るだろうと踏んで、そのまま馬にブラシをかけ続ける。 案の定すぐさま扉が開き、外の日の光が厩へと延びてくる。 馬が外に出ないようにしてある柵に手をかけて、くぐると嬉しそうな真田さんと目があった。 「殿!馬を二頭準備してただけるか?」 「二頭ですね。わかりました。」 すぐさま鞍と鐙を二つ、はみ、手綱と準備した。 装備を済ませ、それぞれ馬房の柵を外す。 手綱を引いていくと、相も変わらず嬉しそうににこにこと笑顔のままの真田さん。 これはあれだな、今から甘味屋へお使いかな? なんてわかりやすい人なんだろうと、苦笑いしながら手綱を一本渡した。 ん?でも二頭? お使いなら一頭でも十分な気がするんですけど? 「このもう一頭は誰が乗るんですか?」 「佐助と殿でござるよ。」 さも当たり前のように私の名前をさらっと出しましたね、真田さん…。 しかし、それならどこに出かけようとしているのだろう? 「どこか行く予定が?」 「近くに怪我快癒の温泉があるでござる。…実は、佐助の怪我の治りが遅いので…その、無理に連れて行こうかと。」 あぁ、猿飛さん、怪我を押しても仕事する人ですもんね。 それをちゃんと気にかけてあげる上司って、相変わらずこの二人は仲がいい。 ただし、その怪我も真田さんがつけたという負い目もあったりするのだろうけど。 「それはぜひ連れて行ってあげてください。…でも…私が行く理由ってあります?」 怪我の治りが遅いのならばそれこそ二人で行ってくればいいのに。 もちろん私は怪我なんてしてもおらず、ぴんぴんしている。 私というお荷物のせいで、馬にも猿飛さんにも負担になりそうなんですが…。 大体そっちのほうが移動に時間をとられないで済みますし。 何より、この時代の温泉…混浴なんですよね…。 男女問わずに裸と裸のお付き合い…。 ……温泉、真田さんによって血の池になるんじゃなかろうか…。 館のお風呂はまだ時間制を取っているからそんな心配もないんですけど。 「某だけならば…佐助はついてこないでござる…。」 「なるほど、私を出しにするんですね…。」 「け、けっして殿をないがしろにしているわけでは!!」 慌てて訂正しても遅いですよ、真田さん。 そんな言い方はそうと言っているようなものなんですけども…。 確かに私が行けば、猿飛さんはついてくるだろうし、私が行く以上馬に乗せる人員となってしまうだろう。 怪我をしているのならば、いつもみたいに走るよりも馬に乗ってもらうほうが負担も少ない。 …行く前から猿飛さんに私を任せるということが決まっているのも、真田さんらしいというかなんというか…。 くすくすと笑うと真田さんの顔が赤くなる。 これ以上からかうと駄目かな? まぁ、せっかくの部下思いの上司の言うことだし、聞きましょうか! 混浴なのは……後で考えよう。 最悪入らないという選択肢もあるわけで。 温泉に行っておきながら、それはそれでちょっとさみしいけど。 ● ● ● 「珍しい…お祭り、ですか…?」 書き物の手を止め、振り返る。 傍らに立つ猿飛さまの手にあったのは、白地に紅の引かれた簡素なお狐様の面だった。 稲荷の祭りにしては時期外れな気がするのだが…。 「そ、これ。」 「お稲荷さんの…お面ですね。」 くるくると手の中で回されるそれは、よく祭りの時に見た物と似ていて、顔に固定できるよう紐もついていた。 彼から狐面を受け取り、裏返してみる。 軽いと思っていたら、骨組みもなく和紙のみで作られているようだ。 目の部分だけ開き、あとは和紙で塗り固められているだけ。 これを着けてしまうと表情が見えなくなってしまう。 若干…息が苦しそう…。 「これを着けて、参列するんだとさ。」 全員が同じ面を…? 気配を察する猿飛さまならいざ知らず、私ならば間違いなく違う方についていってしまいそう…。 …そう思いもしたが、別段参加するというわけでもないから、それは杞憂だろう。 杞憂と思いたい…。 少しだけ離れた場所でと付け加える彼の意図を読み取るまいと、面を返しつつ、送り出す側の文言を疑問系で押し出してみた。 「……いってらっしゃい、ませ?」 「…ちゃん、人の話し聞いてた?」 「えぇっと…もしかして…?」 なんとなく…そう仰ると言う事は…私を誘いに来たってこと…でしょうか? 「旦那が、働き尽くめの軍医様を連れ出せって聞かなくてさー…。」 「…し、しかし、隔離病棟にはまだ患者が…。」 隔離病棟が空ならいざ知らず、それを放置して私だけのうのうと遊ぶことなどできるはずない。 それに、急患が現れないとも限らないのに…。 どうにか彼を説得しようと試みるも、上がった反論は彼からではなかった。 「そんな一日二日で悪化するような者はおりませんよ、先生。どうしても無理な患者が訪問したならば鷹丸を飛ばします。」 「つ、椿っ!」 「先生は休まなさすぎです。少しは羽を伸ばしてきてください。そこは温泉もあると聞いておりますよ。」 「紅までっ!!」 「それとも、一時も離れられないほど…先生にとって私達は、半人前のままですか…?」 「…っ!!!」 しゅんと項垂れる二人に、私は言葉を詰まらせてしまった。 言葉を詰まらせたほうが負け。 そういう掟があるわけではないのに…私がお祭りに行くことは確定してしまった。 鼻歌でも歌いださんばかりの、ご機嫌な上司二人とともに。 ● ● ● そして…、 「は、はぐれてしまったっ…どうしましょう……。」 最も危惧したことが事実になってしまった。 祭りの会場について早々、人波に流されてしまった。 意外にも…と言ったら失礼かもしれないが、予想以上に多くの人がごった返す中では、主の名を呼んだとしてもなかなかに届かず。 猿飛さまなら見つけてくれるやもと、はぐれたと判断した場所から動かないようにはしているのだが…。 通り過ぎる者がみな、同じ面を着けていて…。 自分は見つけてもらえるように面をずらしてはいたが、後頭部につけていて…。 誰も自分のほうを見ようともしない。 面をつけていない自分が異質に感じるくらい、誰もが無関心。 この中にいると、まるで個性を消されてしまったかのように感じてしまう。 稲荷大社にとってお狐は神の御使い。 自らもそうなることで信心をあらわすのだろうけれど…。 こうまでも同じ顔が並ぶと…。 「狂信のようで…少し怖い、かも…。」 最初は色とりどりの幕に、散る花びら、風に動くのぼりに目を奪われていたのに…。 まるで低層のビルのように、通常の建物とは異なり垂直に立つ館からは、ちりめんが施してある反物か、もしくは金銀細工の施された帯なのか、あでやかな布が幾重にも垂れ下がっていた。 すべてが旅籠だと、はぐれる前に猿飛さまが教えてくださった。 華やかな風景と面の単調さの落差が激しいから…、余計にそう思ってしまうのやも知れない。 それに、不安を覚えたのは…間違いなく二人とはぐれてしまってからだ。 それまでは楽しいと、送り出した部下に、連れてきてもらった上司に感謝をしていたのに。 「周りが誰も知らない方々だと…心の底から楽しめなくなってしまうのですね…。」 まるで子供のようと、ため息をつこうとした時だった。 「…し…け…ざらぬ!!!」 ふと、聞き慣れた声がした気がして、顔をあげる。 すると、見慣れた衣装を目の端に捉えられた。 ようやく見つけられたと安堵の息を漏らすものの、その姿も人波に流されそうになっていた。 いけない、せっかく見つけられたのにまた迷ってしまうっ…。 あわてて立ち上がると、そちらへ向かって人波を掻き分けるように進んでいった。 ● ● ● 「真田さん、若干手が痛いです…。」 「も、申し訳ござらぬ!!!」 茹蛸のように真っ赤になりながらも、真田さんの手の力は一向に緩まなかった。 現在、私と真田さんは手つなぎ中だったりします。 しかも、真田さんから言い出して…という、猿飛さんだったら明日槍が降るかも!って言い出しかねない状況だったりします。 温泉というからてっきり山の中に露天がぽつーんとあるところを想像していたのだけど、これが普通の温泉街みたいなところで。 時期がちょうどお祭りの時期だったらしく、猿飛さんがあまりの人の多さに盛大にため息をついていた。 周りのどこを見渡しても狐のお面をみんなつけていたから、思わず… 「うわ、天狐仮面の故郷だ…。」 と言ってしまって、今度は盛大に噴出させてしまったのはまったくの余談です。 さすがにこの人ごみの中を怪我をおして行くのは酷だろうということで、猿飛さんは旅籠、つまりは旅館でお留守番。 私と真田さんは出ている露店を冷やかしがてらに祭りを楽しもうと、早々に出てきたというわけです。 真田さんにとって露店は甘味の宝庫。 そりゃ、行きたくもなりますよね。 むしろ、温泉よりもこちらがメインじゃないかと疑ってしまうくらいで。 ただ、人が多すぎた。 最初はなんとか真田さんの後ろをついていけてはいたが、次から次へと人が間に割り込んできて、思わずあの後ろ髪をつかんでしまったのだ。 力一杯引いたわけではなかったけれど、真田さんを驚かせるには十分で…。 少し道からそれたところで一息つきはするものの、また同じようになることは目に見えていた。 いや、このまま行ったら間違いなくはぐれてしまうかもしれない。 何より、普段から身に着けているあの赤ジャケット、目立ちはするものの、今回はお忍びということもあり普通の着物を身に着けていて。 全員が同じ面をつけているから、離れたら他人との判断が難しい。 どうやら祭りに参加する人間は全員身に着けなければならないそうなのだけど。 はぐれてしまったら、真田さんが私を見つけるのは、かなり難易度が高いと思うんですよね。 もちろん逆も然り。 旅籠の場所も覚えているから、そうなったらなったで戻ればいいだけなんだろうけれど…。 単独で帰ったら…猿飛さんの説教が、怖い。 二人して正座させられるのが、目に見えてわかるんですよね…。 目的はあくまで温泉だから、もう帰っても十分だとは思うのです。 しかし、こちらで初めてのお祭りというものが目の前で繰り広げられているという、好奇心もあるわけで…。 悩んでいたところに、真田さんから手を差し伸べられた、という件があったりしたわけです。 くすくすと笑うと、さらに真田さんの顔の赤さが増したように思える。 手の力は抜けないけれど、あったかい手は心地よかったりもしたから、まぁいいかなんて感受してしまいますか。 ちょっとだけ手に力を入れて、きゅっと握ると飛び上がらんばかりに真田さんは驚いた。 「殿!!!!!!」 「…なだ…まっ!!真田さまっ!!」 自分の名を真田さんが呼ぶ音に、真田さんを呼び止める声が重なった。 あまりに真剣に真田さんに呼びかける声に、とっさに手をはずしたのは自分を褒めねばならない。 いくらなんでも、手を繋いだ状態で知り合いに見つかっては、いらぬ誤解を受けかねない。 しかも…現代風に言えばこっそり隠密デートとかいってすっぱ抜かれてもおかしくない状況で。 この時代に写真という文明の利器がないのと、紙面という媒体がないだけで、人の噂というのはこの時代いくらでもあるわけです。 むしろ、証拠品を提示されるわけでもなく、ただ人伝いの伝言ゲームだからこそ、変な脚色が混じらないとも限らないこの時代は、凶悪とも言えた。 ともかく、真田さんと顔を見合わせ、その声の主を探した。 真田さんにしては珍しく、女性の声だったと思うし。 真田さん自身はこの温泉に来たことがあるといっていたから、馴染みの知り合いとかかもしれない。 すると、ようやく人波から抜け出したであろう女性が真田さんの前までやってきた。 それはもう倒れるのではないかというくらい細くてたおやかなかわいらしい人。 この人波の中を掻き分けてくるのは、たいそう骨の折れる作業だっただろう。 祭りに参加する条件の狐面を頭の後ろに回し、肩で息をしている。 ようやく息が整ったかと思うと、にこりと可憐に笑んで、彼女が口を開いた。 「申し訳ございませんでした…、ずいぶんと探させてしまったのではない、でしょう…か…?」 最初は安心したという表情で、最後のほうは私に気がついて、若干の動揺を含んで。 もしかして彼女は…どこかのお姫様とかなのかな…。 丁寧な物腰がそうじゃないかと、私をあせらせる。 こう、たとえば…真田さんに来る予定の縁談の相手だったりとか…小さいときからの許婚だったりとか…。 あきらかに、私を見て彼女は動揺していて…、それが移った私も動揺を隠し切ることができず、真田さんも同じく動揺して…。 って、あなたは知っていないとおかしいでしょうに…! しかし、まずいと思った。 温泉にお祭り、そこに真田さんを呼び止める女性。 どう見ても私は誤解を最大に受けたお邪魔虫で。 私だけ今から離脱したとしても、温泉にお祭りに真田さんを独占していたという事実を彼女は知ってしまった。 「あのー…」 どういう風に離脱しようかと考えを巡らせていると、困惑した様子の彼女から声がかかった。 「…真田…幸村、さま…ですよね?」 「そうでござる。…そなたは?」 「っ!……ですが…、私のこと、覚えてらっしゃらない…?」 やはり真田さんを知った人間…。 しかも誰かと問われ、ショックを受けてしまうくらいの。 それはもう、こちらが土下座して、ごめんなさいといいたいくらいに。 と、とりあえず、私はここを離脱せねば話がこんがらがるに…いや、すでに話はこんがらがってしまっているけれども…。 真田さんは真田さんで、目の前の彼女が誰か思い出そうとしているみたいで、首を仕切りに捻っている。 だが、本当に心当たりがないらしい。 よく、会った人を、名前も顔もお覚えられない人がいるけれど、真田さんはその類の人じゃない。 比較的、部下の下の人間にいたるまで、会う機会が少ないにもかかわらず名前やら顔やらを覚えているほうだ。 女性に関しては会う機会も少ないからなおさらだろう。 それを思い出せないこと自体珍しいと思う。 何かを言わねばと口を開きかけた瞬間、今度は別のところから声が上がった。 「殿!!!」 そういって、目の前のさんの腕を、ぐいと引いたのは……真田さん…で? いつの間に移動した? そんなことはないはずなんですが! 首が悲鳴を上げるんじゃなかろうかって言うくらいの勢いで左を向くとやっぱりそこにも真田さん。 向こうもそれに驚いているらしく、さんという方も目を丸くして真田さん二人を見比べている。 さ、真田さん…が、二人…??? 生き別れの双子?そんなばかな! あちらの真田さん(?)も驚いたようで、私、よりもこちらの真田さんを凝視している。 そりゃ、自分と同じ顔があれば反応するだろう。 あちらとこちらの真田さんの間には当然合わせ鏡などもない。 …あぁ、もうあちらとかこちらとか面倒くさい! とりあえず、さんの知っている真田さんはおそらく彼女に声をかけてきた真田さんであることは間違いないようで。 さんが小さく真田さまと呼んでいたし、彼を見上げる視線がほっと和らいだのをは感じた。 それに最初、こちらに気がつく前、さんに対する視線が、すごく柔らかくて、女性に対してそういう反応をする真田さんを見たことがなかった私からしたら、あんな表情もできるのかという驚きも相まってしまった。 とりあえず、真田さんが知らないと言ったときよりも彼女の表情が明るくなったのがよくわかって、こちらとしても安心しました。 向こうも声をかけた以上知っていることは明白で、どちらかが迷子だったみたいです。 出会えてよかったですねと喜ぶべきか…。 じゃぁ、そういうことでといって分かれるには…真田さんズが固まりすぎてしばらく動かせそうになかった。 いや、私としてもかなり驚いてはいるんですけど…。 真田さんたち本人が一番驚いているのは明白で、どう収拾をつけようかと悩む余裕がこちらはできてしまったのだ。 お互い、得物は所持していない、がお館様に鍛えられた肉弾戦という最大武器を隠し持っている。 下手なことを言うと、祭り特有の喧嘩が始まりかねないし、ただでさえ同じ顔が喧嘩となると注目も集めてしまう。 そうなるとここの出禁もありえない話ではなく、街の雰囲気が気に入ったからすれば、できれば避けたい事態だった。 せっかく猿飛さんの傷平癒のための行脚というのに、数時間で追い出されてしまえばただの労力の無駄である。 あと、猿飛さんの説教が一番怖(以下略。 「こ、これは…もしや…、」 私のすぐ左にいた真田さんがわなわなと震えながら、つぶやいた言葉で現実に戻る。 たいそうショックを受けた様子はさんからすっかり真田さんに移動していて、殿と聞き取れないくらいとても小さな声を危うく聞き逃すところだった。 というか、驚きはわかるんですが、どうしてそんなにショックを?と思ってしまうくらい真田さんは打ちひしがれていた。 疑問に思い、見上げると、半分涙目で真田さんがおそるおそる問いかけてきた。 「こ、これが…あの、怪談の、どぺるげんがあ…というものでござろうか…?」 あ…、そういえば前、怪談話しを請われたときにしたんでしたっけ…。 自分とまったく同じ人間を見てしまうと死期が迫っているという、怪談というよりもサスペンス的なそれ。 猿飛さんの使う分身とはまったく違うということを説明するのにえらく苦労した覚えがある。 よく覚えていたなと感心する目の端に、反応する姿を見つける。 方向は、驚いたままのもう一人の真田さん、ではなくさん。 「昨今は戦がなく…それにもかかわらず、どぺるげんがあが…。お館様にお仕えする身でありながらなんと情けない…。」 戦以外で死ぬ気満々の真田さんはおいといて、どうにも彼女の反応が引っかかる。 ほんのちょっとのそれに、覚えた違和感をじっと見据える。 すると、真田さんの発言に間違いなく反応した。 ドッペルゲンガーの言葉に。 ほんのちょっと、たぶん真田さんではわからない位に目を伏せる姿に、思案している姿に、確信をした。 もしかしなくても彼女は、単語を知っているのではないかと。 しかし、なぜ彼女が? もちろんその話は真田さんと猿飛さんにしかしていない。 私が使う特殊な言語を、二人が他言するとも思えない。 今、目の前でしちゃってるけれども。 向こうの真田さんも気にはなるけれど、あちらは驚愕からすでに困惑に移っている表情。 特別に変わった様子はない。 本物のドッペルゲンガーかと一瞬思いもしたが、そもそも第三者から見られる例は都市伝説の類に分類されたはず。 「あの…、」 さんに話しかけようとした瞬間、道の先のほうでぱーんと乾いた破裂音が響き渡った。 そして、そちらからどっと人が逆流してくる。 4人であわてて軒下のほうに移動すると、混乱はますます広がるばかりで。 人の波からかばうように、真田さんが私を引き寄せた。 それでも人はどんどんとぶつかってくる。 これは猿飛さん、本当に来なくてよかったですね…。 お祭りの会場で、この人の多さ…、しかもパニックはさすがにまずいんじゃ…。 ショックを受けていた真田さんは、すでに立ち直り、じっとそちらの様子を伺っていた。 「殿!」 「わかりました!大丈夫、ここから動きません!」 真田さんの意図を察し、縦に大きく頷いた。 おそらくは混乱を収めに行くのだろう。 にこりと安心させるように一つ笑い、真田さんは混乱のさなかに走っていった。 こういうときは本当に頼もしく、大きく映る。 ごった返す人波を掻き分けていく姿は、すぐに見えなくなってしまった。 それでも、大丈夫かとはらはらしてそちらのほうを見ていると、また声がかかった。 「殿…と申されるのか。」 「は、はい…!」 もう一人の真田さんのほうだった。 さんは若干後ろのほうに控えている。 というか、緊張した真田さんの面持ちにかなり違和感を感じてしまうのは、普段接してくれている真田さんが、どれだけ打ち解けてくれているのかというのがよくわかった。 「某も混乱を収めに参りたい。殿をお願いしてもよろしいだろうか…。」 「あ、わかりました。二人でここで待っております。」 ぐっと握りこぶしを作って、安心させるようににやりと笑う。 若干赤くなってはいたが、女性に対して過敏に反応する真田さんに慣れたこちらとしては、まだかわいいほうに見えた。 何より、二人で待つことができるということは、ゆっくり話せる場が整ったわけで。 そういう意味でも二つ返事をした。 「すまぬでござる。また目を放した隙に迷子になってしまったら…。」 「真田さまっ!!」 「事実でござろう?」 なるほど、さんはかわいらしい類の方でしたか。 迷子になったのも彼女からのようですし。 とがめるよう短く叫ぶさんは、頬を恥ずかしさで朱に染め、まったく怖さが感じられない。 それは彼もそうだったようで、笑顔で言われる反論にぐうの音も出せなくなったのはさんの方だった。 「〜っ、…い、いってらっしゃいませっ!…もし怪我人がいたら…、すぐに呼びにきてください。」 すでに踏み出してた一歩の後ろから声をかける。 返事はなかったが、一つ手を上げることで理解したということを示したのだろう。 信頼されているのだなと言うことがよくわかる。 その姿もあっというまに人波の中にまぎれてしまった。 降りてきた沈黙に、どう話しかけようかなと思う。 おそらく彼女は…私の予想が外れていないのならば…。 「えっと…」 「さん…と仰いましたよね。あなたは…。」 先ほど恥ずかしがっていた顔とはまったく違い、伺うように言葉をポツリポツリと彼女が呟く。 お互い建物を背に、視線を合わせず祭りの沿道の方を見ている。 先ほどの混乱は徐々に収まりつつあった。 きっと現れた二人の真田さんに、一気に収束させられたのだろう。 そちらはやはり安心した。 せっかくのお祭りで怪我などしてしまってはもったいない。 こちらは解決して本当に安堵した。 あとは、真田さんが二人いる事実と、さんのなぞが残っている。 そして、やはり彼女もどう話を切り出そうか迷っていて。 ここは言い淀まないほうがよいと、は判断した。 「……現代から、来ました。」 かまもかけず、ストレートに。 潔いその言葉にさんがはっと息を飲むのがとてもよくわかった。 そして現代という単語に驚くその姿で確信した。 彼女もまた自分と同じ境遇なのだと。 同じように真田さんたちと出会ったんだと。 この出会いに意味があるかはわからない。 真田さんが二人いた意味もわからない。 ただ、何か意味があるとするのなら…いや、憶測だけで物事を決めてしまってはもったいない気がする。 出会いを偶然で終わらせてしまうには、本当にもったいないくらい偶然が重なりすぎているんです。 ならば、楽しむというのも乙な話でしょう? だってここは、 「お祭り、ですし!」 神様のおまけ的な何かだと思ってもいいんじゃないでしょうか? ←back next→ |