「はい。お待たせー。持ち帰りだから10%オフね」 「慶ちゃん、おまけしてよぉ」 「ははははは。そんなことしたら、俺給料減らされちまうよ。クーポンで勘弁してくれな。はい、これお釣り。いつもありがとな。またどうぞー」 ピザの箱が入った袋片手に手を振りながら帰っていくおねーさんを厨房の奥からこっそりと見送る。慶次さんの表情は見えないけれど、おねーさんに向かって手を振っているのが確認できた。 あのおねーさんは確か3つ隣りのビルに入ってる会社の美人なOLさん。 事前に電話してきて、配達ではなくこうして引き取りにくる。 わざわざ引き取りに出てくるのは毎日デスクワークでなかなか外に出ない彼女の気分転換のためでも、持ち帰りだと金額が10%オフになるからでもないことを私は知っている。 「ちゃん。次はどれだい?」 「持ち帰り、2つ。両方Mサイズ。もうすぐ出ます」 「はいよっと」 私の答えに手際良く箱を並べる慶次さんを横目に私は次のピザに取り掛かった。 デリバリーがメインのはずのこのピザ屋さんは持ち帰りで注文してくる人が、意外と多い。理由はオーブンの前で焼きあがったピザを取り出しているまつさんに以前聞いた。それは「デリバリー担当に慶次さんを指名してくる人が多いので、慶次さんをお店に引っ込めたらこうなった」というどこの漫画かと思うような理由だった。さっきのおねーさんもその1人だったとか。 食事時を外した注文の少ない時間帯はあえて、慶次さんをデリバリーに出さないようにしたらその時間帯だけ持ち帰りの注文が増えたとかで、それはそれで結構助かっているのだと利家さんは笑っていた。 まつさんは「指名制はないのに、何故かお願いされてしまって」と困った顔をしていたが、このオーナー夫婦の人の良さが、お店の雰囲気に頼みやすさとして出てしまっているんだと思う。 ピザ生地の上に具を並べながら、そんなことを考えていると「どうしたの?」と慶次さんに声をかけられた。 「え?」 「ここ、しわ寄ってるよ?」 自分の眉間を指しながら首をかしげた慶次さんに、曖昧に笑って見せる。 「ちょっと、考え事で」 「折角の可愛い顔が台無しだぜ。笑った笑った」 そう言ってにかっと笑う慶次さんは確かに顔はカッコいい部類に入るんだろう。それに背は高いし、気はきくし、話も面白い。ご指名したくなる気持ちは分からなくもない。 ただ、一緒に働いていて思うことがある。 慶次さんは軽い。のだ。 そう。軽いというか、チャラいというか。とにかく、本気で言ってるのかそうじゃないのか、わかりにくいときが多い。私と話す時もさっきのように「可愛い」とかよく言うし、お客さんにも「美人だねぇ」とか「今日もキレイだね! 」とか兎に角そういう口がまわる。 まあ、言われて悪い気はしないけど……。 「ほらほら、また眉間にしわが寄ってるよ!」 ニッと笑って、私のおでこをピッと指さして慶次さんは「いらっしゃい!」とピザを受け取りにきたお客さんの接客に出て行った。 今度は徒歩5分くらいの距離にあるマンションに住んでいるおねーさんだ。一度だけ人手が足りなくて配達に行ったことがある。届けに来たのが慶次さんじゃなかったからか、すっごく面白くなさそうな顔をされたっけ……。 「さん?手が止まっておりますれば」 「ご、ごめんなさい!」 「いいえ。何か気になることでも?」 「何でもないです」 慌てて首を振るとこちらを窺っていたいたまつさんが真剣な顔で言う。 「オーブンや刃物など危険なものもありますれば、集中していないと危のうございます」 「すみません。気をつけます」 頭を下げるとまつさんは「お気を付け下さいませね」と笑った。 このまつさんのすごいところは、注文のピザやサイドメニューを作り上げつつオーナーの利家さんのご飯を作っているところだと思う。利家さんも慶次さんもよく食べるしなぁ。2人ともデリバリーのときはバイクの筈なのに、走って届けてお腹空いてるんじゃないかと錯覚する食べっぷりだ。 ちなみに利家さんがお店に戻ってきたとき、「ただいま」ではなく「まつーめしー」が挨拶代わりなのはここで働くようになって一番最初に驚いたことだ。 「ばーちゃんわざわざ来てくれたのかい!電話くれたら、家まで届けるのに!」 慶次さんの大きな声が聞こえて、お客さんが来たと知る。どうやら慶次さんの知り合いみたいだけど、慶次さん顔広いよね。 「孫たちが慶ちゃんとこのピザが食べたいって言うからね。一緒に買いに来たんだよ」 と笑ったおばあちゃんの後ろで恥ずかしそうにしている中学生くらいの女の子。かわいいなぁ。ちらちらと慶次さんを見上げている。そして、その弟だろうか、小さい男の子が「けーちゃん!遊んでー」と声をあげている。 流石慶次さん老若男女にモテモテである。 今日は慶次さん目当てのお客さんが多いなぁ。 ……正直、複雑。 そう思う理由もわかっている。 だからと言って、どうにかできるわけではないのだけれど。 慶次さんみたいな人は、「かっこいいね」って憧れて眺めているくらいでいるのがきっと丁度いいんだと思う。高嶺の花とはこういうことだ。 慶次さんが注文を取っている声が聞こえる。 ふうと小さくため息をついて、私は目の前の仕事に意識を戻した。 ***** 「あ、慶次さん。お疲れさまでした」 「遅くまで悪かったね」 「いいえ。大丈夫ですよ」 閉店後、着替えて出てくるとやはり今日閉店までのシフトだった慶次さんが立っていた。 今までこの遅番のシフトに入ったことはないが、たまたま代わってほしいと頼まれて引き受けたのだ。 「利家さんとまつさんは?」 「あぁ、2人ならもう上がったよ」 「そうなんですか」 戸締りとかどうするんだろう。利家さんとまつさんがいないってことは、慶次さんにお任せしていいのだろうか。 「あの、じゃあ、お疲れさまでした」 「あ、ちゃん。ちょっと待って」 「はい?」 「もう遅いから送ってくよ」 「は、はい?」 思いがけない申し出に思わず首を横に振る。 「いいです。大丈夫ですよ。自転車だし」 慶次さんは一瞬だけ目を丸くすると、いつになく真剣な顔になった。いつもニコニコしているからちょっと意外。そういう顔もできるんですね……。 慶次さんは軽く首を振ると、表情を変えずにこちらを見た。 「ダメダメ。こんな時間に女の子一人じゃ危ないって。自転車はここに置いてっていいから」 「でも……」 「ちゃん、明日は開店からだろ?その前に迎えに行くよ」 「それは流石に申し訳ないんですけど」 「気にしなくていいって、俺がしたいだけだから。それにこんな時間にちゃん一人で帰したらまつ姉ちゃんに叱られちまうよ」 まつさんに叱られるのはいつものことなのでは……。と思いつつ、私がその理由を増やすのも憚られる。どうしようと悩む間もなく慶次さんが言葉を繋ぐ。 「車取ってくるから、表で待ってて」 促されるままに表に出ると慶次さんはお店の戸締りをして、ちょっと待っててくれよ!とお店の裏の方へ走って行った。 声をかける暇さえない。流石にここまで来て、断って自転車で帰るなんて出来そうにない。 はぁとため息と落し店の前のデリバリー用のバイクを避けて、歩道まで出る。いつももっと早い時間にしかあがらないので、あまり気にしてなかったが思ったより道路は暗かった。 だいぶ春らしくなってきたとはいえ、夜はまだ寒い。首元をなでる風に思わず肩をすくめた。 自分の両手で両腕を抱えるようにして、肌寒さを凌ぐ。慶次さん、時間かかるのかなとぼんやり考えながら、ガードレールによりかかる。 もう一度左右に視線を走らせる。昼から夜にかけて比較的人通りが多い道なのだが、流石にこの時間はあまり人が通らないらしい。少し離れたところで、ささやかな街灯の光に照らされた人が歩いているのが見えた。 ちょっと怖いかも。いつも見ている風景のはずなのに、こんなに違う風に見えるのかと薄闇に目を凝らす。いつの間にかさっきまで離れたところに見えていた人が、目の前を通り過ぎる。何の気なしに目で追っていたらしく、こちらを向いたその男性と目があって慌ててそらす。 慶次さん、遅いな……。 連絡しようにも慶次さんの携帯電話の番号も、アドレスも知らない。 携帯を取り出してバックライトをつけてから思い出す。 そういえば慶次さんってデリバリーに行ったとき、お客さんに掴まって話しこんでなかなか帰って来ないときとかあるよね。お客さんとじゃなくても電話が鳴って出たら友だちからで、そのまま話が長引いちゃったとか。 ……今同じことが起こってないといいな。 考える時間が出来てしまたせいか、今更ながら慶次さんに送ってもらうと言うことに緊張してくる。 帰っちゃおうかな……。と立ちあがった瞬間、さっき目の前を通り過ぎた男性が少し先で立ち止まりこちらを見ているのに気が付いた。 その 雰囲気にあまりよくないものを感じて、反射的に反対方向に歩き出そうとしたときだった。目の前の道路に車が止まる。 「悪い悪い!お待たせ!」 運転席から降りながら、慶次さんが笑う。その肩には慶次さんのペット夢吉くん。 車が止まったからか、こちらを見ていた男性が何事もなかったかのように立ち去って行った。視界の端でそれをとらえて、ほっとする。ついさっきまでの申し訳ないという気持ちもすっかり忘れて、慶次さんの姿に安心した。 「待たせてごめんなー」 と慶次さんが言うとその肩に乗った夢吉くんも「キーッ」と鳴いた。夢吉くんは時々慶次さんがご飯の時間だからとお店に連れてきているので、面識がある。 「はい。どーぞ」 迷うことなくこちらに歩いてきた慶次さんが、助手席のドアを開ける。 車に乗るのにドアを開けてもらうとか、タクシー以外でやってもらったことなどない。 「えっと……」 その行動にどうしていいかわからずに思わず見上げると、慶次さんが「どうしたの?」と首をかしげた。 いいのかな。とドキマギしながら助手席に乗り込むと「閉めるよー」と声をかけられた。頷くと慶次さんもにこりと笑って頷いてドアを閉めてくれる。 こんな扱いをされたことがないのでまた緊張してしまう。 すぐに運転的に乗り込んだ慶次さんの肩から、夢吉くんがヘッドレストに移動する。しがみついている姿はとても可愛らしい。 「大体の方向しか知らないから、わかるところに出たらナビしてくれるかい?」 「は、はい」 カーステレオからは軽快なモダンジャズが流れていて、少し意外な感じがする。 滑るように走り出した車は、あっという間に周りの車の流れに乗り急な加速もブレーキングもない。運転が上手いのだろう。安心して乗っていられる。 「こっちでよかった?」 「はい」 2人きりという状況はとてつもなく緊張するけど、何も話さないのもそれはそれで気まずい。早く家につかないかな。仕事中なら、周りに人もいるしもっと気軽に話せるんだけど。 普段口数の多い慶次さんも、運転中だからなのか何も喋らない。 脳みそフル回転で何か話題はないかと考える。 「け、慶次さんって他の人もこうやって送ったりするんですか?」 「ん?いや、まさか。女の子だけ。ははっ」 笑いながら慶次さんが答える。 女の子だけ、か……。 利家さんとまつさんに「女の子だから、遅番のシフトには入れられない」と以前言われたことを思い出す。今日だって他に来られる人がいなくて、渋々認めてくれたという感じだった。じゃあ、他のバイトの人とかも女の子は遅番に入らないのかな……? それとも遅番じゃなくても、上がり時間が慶次さんと同じなら送って行ったりするのだろうか。 自分以外のバイト仲間の顔を思い浮かべてみる。 ……あれ? まつさんと私以外に女性っていたっけ? 私とシフトがかぶっていないだけだろうか。 一人ずつ思い出しながら、と言ってもオーナー夫婦と慶次さんを除くとそんなに大人数なわけじゃない。 考え事をしている間に、いつの間にか車が止まっている。はっと周りを見渡すともううちの近くだった。全然ナビしていないのに、なんで? 「うちのバイト、女の子ってちゃんしかいないんだ」 「えーっ!そうだったんですか!気付かなかった!」 今さっき考えていたことの答えに驚きの声をあげ慶次さんを見ると真剣な眼と視線がぶつかる。 いつとも雰囲気が違う。 「バイトの子、送ってくとか初めてだよ」 「そ、う、なんですね…」 「ちゃん」 「は、はい?」 「あ、あの、さ」 慶次さんは真面目な顔で、いつものように笑ってはいなくて、声もどこか強張っている。 なんだろう、この空気。 まるで緊張しているような慶次さんに、こちらもどうしていいかわからず見つめ返す。何故か慶次さんは沈黙してしまった。そのままどのくらい経ったのか、自分の鼓動がやけに大きく聞こえることに気付いた頃、慶次さんが眉を下げてその表情を緩めた。 「明日迎えに来るからケータイの番号とアドレス教えて」 「あ、そ、そうですね!」 カバンを探って携帯電話を取り出す。 やっと視線を逸らせたことにちょっとだけ安心する。あの雰囲気はまずい。変な勘違いをしそうになる。 偶然同じアドレス交換のアプリが入っていたので、それで番号とアドレスを交換する。携帯の画面に映る前田慶次の文字に表情が緩みそうになるのを、気合でこらえる。 「あ、あの、じゃあ、ありがとうございました!」 「あぁ、おやすみ」 「おやすみなさい」 今度は自分でドアを開けて車から降りる。 そうだ、なんでナビなしでこの辺だってわかったのか聞くのを忘れていた。 振り返るといつもの笑顔で慶次さんがひらひらと手を振る。それに手を振り返すと、いまだに速い鼓動を抑えて歩き出した。 ***** ちゃんの姿が完全に見えなくなってから 「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」 と思いっきりため息をついて、ハンドルに顔を伏せる。 「キキィーッ」と聞こえてきた夢吉の声に「笑うなよ」と言うと「キキッ」とまた返事が返ってきた。 「なぁ夢吉ー、俺って情けなくね?」 「キキィーッ」 今更とばかりに夢吉がまた笑う。 告白どころか、ケータイ番号聞くのがやっととか……。がくりと再び肩を落とした俺の後頭部にペチペチと小さい手があたる。 「キキッ」 「そうだよなぁ。まだまだこれからだよな」 「よし。まずは明日!」と気合を入れると肩に乗った夢吉がまた「キキーッ」と笑った。 ■2013.03.28 ←back |