BSR fast food企画 参加作品「そのこころに、真のつよさを」 ――”そういえば最近タケダッキーってどうなってんの?” ――”CMやってなくね?” ――”え、つぶれたっけ” ――”近所のタケダッキーはヤスバーガーになってた” ――”ヤスバーガーの伸びっぷりはすごいよな、CMも金かけてるって感じ” ――”単に数字とれそうなアイドル使ってるだけだろ?” ――”それが金かけてるって言ってるんじゃねーか、アイドルアンチは去れ” ――”アニドとコラボするとか言ってた?” ――”ダテッシュじゃねえの” ――”ダテッシュコラボだっけ?ヤスって野菜バーガーとかも置いてるよな” ――”サイドメニューはヤスが一番うまいだろ” ――”ヤスチキンまじ神” ――”自演乙” ――”そういやタケダって、なんかシンゲンス倒れたってきいたけど” ――”死んげんす?” ――”こらw殺すなww病気だろうよwww” ――”カーネル・氏ンゲンスwww” ――”ま、あの店ワンマンぽかったし、創業者がいないんじゃ、もう保たないんじゃね” 「・・・・・・、」 スマートフォンでインターネット上の掲示板の書き込みを眺めていたはひとつ息を吐いて、画面を閉じると従業員出入り口のドアを開いた。 白い壁に大きな窓、赤い屋根。通りに面した一般用の出入口の脇には赤毛に角(聞けば本人の髪なのではなく角を含めてそういう被り物なのだという)が特徴的な、創業者を模したキャラクター「カーネル・シンゲンス」の等身大人形。 掲げた看板に、紅の力強い文字が踊る。 ――「タケダッキーフライドチキン」。
そのこころに、真のつよさを
十年以上も使い込まれた専用の圧力釜やフライヤーが鎮座する厨房は、いつも油のにおいがする。清潔に保たれた白い壁にかかった時計の針はちょうど十時を指して、「ピピ」と時報の電子音を呟いた。モーニングの時間を過ぎ、これから昼時までは、客足の少ない穏やかな時間帯だ。 「――真田の店長、徳川から例の話、また督促があったよ」 このタケダッキーに長く務める従業員、猿飛佐助は、チキンに衣を付ける作業の手を止めないまま、そう言った。次々と衣をまとったチキンがバットに積み上がっていく様はいっそ美しい。接客から調理まで、そして総務や経理までをこなす有能さは、店長という肩書にいまだ馴染めない真田幸村には必要不可欠なもの、そのひとつだ。 「ま、言い方はお優しいけど、手っ取り早く言えば『傘下に下れ』ってことだな」 佐助の声を聞きながらフライヤーから狐色に揚がったチキンを取出し、レジカウンターとの間を仕切るケースに収めてから、幸村は眉根を寄せて息を吐いた。 「・・・・・・それはならぬ。お館様より託されたこのタケダッキーを守らねば・・・・・・、それが、お館様の意志であるのだから」 「そうか、ならどうする?」 佐助の声色は、どこまでも平坦だ。 現状に慌てたり、焦ったり、まして店長である幸村を責めたりするようなこともなく、ただ事実を事実として、声に乗せている。 ――ファストフード業界の古参であるタケダッキーフライドチキンは、未曽有の危機に直面していた。 ひしめくハンバーガーのメガチェーンの勢いに圧され、また長く続く不況も相まって経営は芳しくなかった。さらに近年は、消費者の健康志向の高まりもあって、主力のフライドチキンに対する需要が落ち込み気味でもある。そうした様々な要因があった中、しかし決定打となったのは、創業者カーネル・シンゲンスこと武田信玄の病臥であろう。各店舗の店頭に等身大人形が設置されるほど、タケダッキーにおいて信玄の影響は色濃い。彼が倒れ現場を退いたとの一報が流れると、取引先の中には、信用がものを言う金融機関をはじめとして、掌を返す手合いも少なくなかったのだ。 フランチャイズで展開していたチェーン店も、多くは売上低下により廃業した。契約満了に伴い、他店に鞍替えする店もあった。鞍替え先は専ら、業界の急先鋒であるヤスバーガーである。店が入れ替わったとあれば、一般の消費者の眼にもつく。ますますもって、タケダッキーの旗色は悪くなる一方だった。 「・・・・・・」 口を噤んだ幸村に、佐助はあくまで温度の無い声で、突き放すように言う。 「迷え、そしてアンタが決めろ。アンタはもう、『店長』なんだ」 その言葉に幸村はぎりと拳を握る。厨房のドアが開いたのは、ちょうどそのときだった。 「・・・・・・取り込み中、だったか」 二人の間に漂う雰囲気を感じ取ってか、扉から顔を覗かせたが遠慮気味に言い、それを見て佐助は粉にまみれた手をひらひらと振る。 「ちゃん、おっはよう」 にこりと笑う佐助を、表情の変化に乏しい顔でしばらく見つめてから、は厨房に足を踏み入れた。 「おはよう佐助、幸村殿」 佐助からこちらへ視線を移したに、表情を緩めた幸村は「うむ」と頷き、そして気が付いて時計に眼をやる。 「・・・・・・、シフトは十一時からではなかったか」 は、現在タケダッキーが雇う、たったひとりのアルバイト店員である。 一時は十人を超えるアルバイトが働いていたこの店も、経営難からくる規模の縮小と人件費の削減のために数を減らさざるを得なかった。唯一が残ったのは、カウンターを預かるアルバイトとしての能力の高さゆえだ。 時計の下の壁に貼り付けていたシフト表によれば、今日のの勤務時間は十一時からと記されている。はしばしば、こうして時間よりも早くに出勤することがあり、それを指摘すれば決まって小さく笑うのだ。 「ああ、大丈夫だ、タイムカードは十一時に押すから」 そして、幸村は決まって、渋面を作る。 「しかし、何度も言うが、それでは一時間も無償で働くことになるぞ」 「何度も言うが、学生とはいえもう授業もほとんど無いし、要するに時間を持て余しているのだ。ここで働くのは趣味でもあるし、趣味に報酬をいただくわけにはいかない」 いつものやり取りだった。調理台からそれを眺めている佐助は思う。どこか時代がかった言葉づかいといい、このふたりは良く似ている。その最たる点が互いに譲らない頑固さだ。 さらには、正面から幸村の眼を見据えて、こう付け足した。 「それに少しでも長い間『彼氏』である貴方の側に在りたいと思うのは『彼女』としては当然の考えであるように思うがいかがか」 幸村は一瞬硬直し、そして言われた言葉の意味を咀嚼したのか顔を真っ赤にした。 ちょうどフライヤーのブザーが鳴り、チキンが揚がったことを報せたので、どこかぎくしゃくした動きで作業に戻っていく。 幸村の、その一連の動きを、相変わらず動かない表情で見つめるに、佐助が声をかけた。 「ちゃんもずいぶんと、言うようになったよねェ。ここ来たばっかの頃のことを考えたら、そんな言い回しができるようになるなんて、ほんと成長したもんだ」 こちらに顔を向けて、は笑う。 「長く働けば、慣れることもあるだろう。何より貴方や幸村殿から学んだことは、とても多い。礼を言う」 それはごくささやかな笑顔ではあったが、それでもこんな笑顔を浮かべることができるとは、働き始めたばかりの頃のを知っている佐助としては、驚かされるばかりだった。 がこの店で働き始めたのは、まだどこかあどけなさを顔立ちに残す高校生のころだった。他人との接し方がよくわからないのかとかく無愛想で、およそ客商売に向いているとは思えず、レジ打ちだけは完璧にこなすからカウンターを任せたものの、客が来るたびに冷や冷やしたものだった。何度キッチン担当に替えるべきだと思ったことか、実際アルバイトのシフト管理全般も任されている佐助は幾度となく当時の店長であった信玄に上申したのだが、信玄は一向に認めてくれなかった。曰く、本人の望む仕事をさせよと。確かにの就業面接時の志望理由は「多くの人と関わって自らの器を広げたい」であり、客と直に接するカウンター担当というのも本人が希望したものだ。 今になれば、信玄の方針は正しかったと、佐助も認めざるをえない。 現に彼女の接客能力の成長は目覚ましかったし、この店にとって、――そして幸村にとって、かけがえのない人物となった。 「ま、ここは素直にどーいたしまして、と言っとこうかな」 佐助はへらりと笑って、そう答える。 店の外、ガラス戸に掲げたメニュー表を見る家族連れの姿に気が付いて、はレジカウンターへ移動する。 「では、今日もよろしく頼む、幸村殿、佐助」 一度厨房を振り返ってはそう言い、ひたすらチキンを揚げる作業に没頭していた幸村が顔を上げた。 「ああ、頼むぞ、」 その穏やかな笑顔を盗み見て、佐助は自分も、口元を緩める。 店舗数は減り、規模の縮小を余儀なくされ、客足だって遠のきつつあった。 それでも、こうやって笑顔で働くことができるというなら、それだけで十分すぎるほどしあわせだ。 ・・・・・・叶うことなら、ずっとこのままだったら、いいのに。 昼食時を過ぎれば、店内は静かになる。 この後は夕方ごろ、学校帰りの学生たちがやってくるまでは、ほとんど来客の無い時間帯だ。 以前はこうではなかった、昼時を過ぎても道行く人は絶えず足を運んでくれたものだった。ところが一昨年、近郊にショッピングモールが進出し、人の流れが変わってしまったのだ。平日のこの時間帯となると、人通りはかなり少なくなってしまう。 店内全てのテーブルを拭き終わったは、レジカウンターに陣取ったまま使用済みトレイを一枚一枚丁寧に拭いていた。静まり返った店内に流れるのは、七十年代のアメリカンポップスで、往年のシンガーが「君がいるなら世界は素晴らしい」と歌っている。 幸村と佐助は外出している。店内にはひとりという状態だが、必要分のチキンは揚がっているしバーガー類の用意ならにもできるから問題は無い。来客の無い時間帯とはいえ、ひとりで店を任せてもらえるほどの信頼を置いてもらっているのだと思えば、どこか面はゆいような気分にもなり、見た目に表情の変化は無かったが、は上機嫌だった。 ――ガラス戸を開けた人物の顔を、見るまでは。 はその客に気が付くと、ひくりと眉を動かしてから、手にしていたトレイを音をたてずに置いた。カーネル・シンゲンスの慈善活動の内容が印刷されたペーパーをトレイの上に敷いて、客を迎える。 「・・・・・・いらっしゃいませ、徳川殿」 「やあ、元気そうで何よりだ」 身体に合ったブラックスーツをびしりと着こなした、見るからに有能なビジネスマンという出で立ちの男だ。徳川家康、今をときめくハンバーガーチェーン・ヤスバーガーの若き経営者である。業界の有名人であるし、も顔見知りでは、あった。 「ご注文は、お決まりでしょうか」 「なら、『をひとり』」 即答されたその言葉に、は鉄面皮を一切動かさなかった。 「ご注文は」 「そう睨むな、冗談だ。いやお前にウチで働いてほしいという気持ちは変わってはいないがな?」 睨んだつもりはなかったが、こちらの警戒心などお見通しということだろうか。 「・・・・・・」 口を閉ざしたに、家康は笑って言う。 「どんなに混んでも正確なレジ打ちと商品の提供ができる、お前のような人材はウチにも必要だ」 「それは雇い入れてからの訓練でどうにでもできるだろう。事実、わたしもここに来たころには何もできなかった」 棘を隠さないの言葉に、しかし家康は意に介した様子は無い。 「もちろん、お前の言うとおりだ。だがウチは今店舗拡大で人員不足でな、即戦力になる優秀な人材にはひとりでも多く力になってほしい」 はこの男が、あまり得意ではなかった。 ひとのこころを、こちらの手の内を全て見透かすような眼をするからだ。 何か大きな、圧倒的な力を秘めた、眼だ。 は背筋を伸ばし、ぐいと顎を引いた。腹に力を入れ、真っ直ぐとその双眸を見据える。 ・・・・・・・気圧されてはいけない。 業界では比較的新参であるヤスバーガーは、世界を股に掛ける巨大チェーン・トヨトミルドから独立したこの家康が築いたもので、万人向けのトヨトミルドの技術と野菜をふんだんに取り入れた健康志向への配慮が受けて近頃急速にシェアを拡大している。武田信玄を師と仰ぐ家康はこの店にも何度も足を運んでいて、に限らず、こうしてアルバイトに引き抜きの声掛けをすることもあった。事実として、何人かのアルバイトはこの店を辞めて、同じ時期に近隣のヤスバーガー店舗で働き始めたということを、も知っている。 そのことに対して、は特段、何も思ってはいない。アルバイトの身の上から考えれば、より待遇の良いところで働きたいと考えるのは自然のことであるし、どこでどう働くかはその本人の自由だ。がタケダッキーに留まっていることが、の意志であるのと同じように。 「・・・・・・それで、ご注文はお決まりか」 家康の誘いは聞かなかったことにして、は平坦な面持ちで家康を見つめた。 そのの様子に、家康は軽く肩をすくめる。 「相変わらず手厳しい奴だなあ、まあ、考えておいてくれ。今日は真田に用があって来たんだ」 「・・・・・・店長ならば外出している。伝言があるなら承る」 「いやなに、そろそろ返答を貰おうと思ってな」 「返答?」 「ああ、資本提携の。是非とも我が師のチキンの技術を、ヤスバーガーでも学びたいからな」 その言葉の意味を理解するまでに、少し、時間がかかった。 「・・・・・・資本提携、だと?」 がようやく絞り出したのは鸚鵡返しの質問で、それを聞いた家康は「なんだ、」と目を丸くする。 「真田から聞いていないのか?けっこう前から打診しているのだが、」 「――はいはい、そこまで」 その声と共に、の両耳を塞ぐように、何かが添えられた。 それが背後から伸びたひとの両腕だと気付いて、驚いたはそちらを振り返る。 そこには、薄く笑った佐助がいる。 「さす、」 「――某に、用がおありなのでござろう、徳川殿」 幸村の声がして、視線を前へ戻した。を庇うように、そこに深紅の制服の背姿がある。からは顔は見えない、しかしその背からはちりちりと、肌が焦げるのではないかと思うような気配が、立ち上っている。 「ちゃんはこっちおいで」 佐助が厨房の方へ、の手を引いた。は幸村の背を振り返る。 「待っ、幸村殿、」 「よい、。しばし、はずしてくれ」 幸村の声は、どこまでも静かだった。 まるで、冬の夜の、冷たい空気の、ような。 佐助の手に引かれるまま厨房奥の事務室に入るまで、幸村はの方を一度も、見なかった。 ちゃん休憩まだでしょ、お茶でもどう、そう言って、事務室に入るなり椅子にを座らせると、佐助は備え付けの電気ポットから急須に湯を入れた。 「今日のは新茶だよー」 「ヤスバーガーと資本提携とはどういうことだ、貴方は事情を知っているのだろう」 急須と湯呑をふたつ乗せた盆を手にこちらへやってきた佐助は、の言葉を聞いてわずかに柳眉を持ち上げ、そのまま盆をテーブルに置くと椅子に腰を下ろした。安物のパイプ椅子が、ぎいと音をたてる。 「・・・・・・知ってはいるけど」 「知らなかったのはわたしだけなのだな。何故話してくれなかったのだ、店の存亡に関わる一大事ではないか」 家康は、タケダッキーのチキンを学びたいと、言っていた。要するに、ヤスバーガーから出資を受ける代わりに、タケダッキーの技術を明かすということだ。資本提携と銘打つ以上はこちらの経営支配権に影響が出るほどの出資は無いはずだが、しかしそれは一般的に買収や合併の前段階として行われることが多い手段であると、も知識としては知っている。つまり、ヤスバーガーの真の狙いは、タケダッキーの吸収合併なのかもしれない。 そうでなくとも、タケダッキーのフライドチキンは、そのレシピが限られたごく一部の人間にしか明かされていない門外不出の企業秘密だ。創業から数十年、守られ続けてきたそのレシピを、そう易々と渡していいはずは無い。 茶を淹れていた佐助が、こちらに視線を流した。 その顔に、捉えどころのない笑みが宿る。 「・・・・・・言ったとして、アンタに何ができるの?」 「!」 はかすかに眼を見開く。 「ちょっと店長に眼をかけてもらえてるからって何か勘違いしてない?アンタはただのアルバイト、ウチの経営に口出しできる立場じゃない」 「それは、そうだが、だが、」 「資本提携の話も、アンタには黙っておくと決めたのは店長だ。アンタの仕事ぶりは店長も俺様も評価してる。けどあくまでそれは、カウンターを担当するアルバイトとしてのアンタであって、それ以上のことをアンタが背負う必要はないし、俺らも期待してない」 すらすらと、まるで澱みない口調で、佐助は言う。 それを聞くの膝の上の手は、エプロンをきつく握りしめている。 「・・・・・・っ」 唇を噛んだに、佐助は声色も表情も変えないまま、湯呑を差し出す。 「別にいいんじゃないの、この店が無くなったところでアンタならまた別のとこでやっていけるさ、アルバイトのアンタが気にすることないじゃない」 「そのような、ただわたしは、貴方たちの力になれればと」 弾かれたように顔をあげたに、しかし佐助はさも面白くなさそうに息を吐いて見せた。 「だァから。そんなの期待してないんだって」 そしてテーブルに肘をついて、こちらの顔を覗きこむ。 「わかる?俺らは、――店長は、アンタを必要としていない」 「っ、」 がはっきりと、表情を動かした。 痛みに耐えるかのように、眉根を寄せた。 佐助は何食わぬ顔でそれを見つめながら、自分で淹れた茶を啜る。 果てしなく長く感じられる数分が過ぎた。 時計の、秒針の動く音が聞こえるほどの沈黙を破ったのは、事務室のドアを開いた幸村だった。 先に気づいた佐助が湯呑をテーブルに置く。 「店長、もういいのかい」 わずかに肩を動かしてから、はそちらに顔を向けた。 幸村の表情は、固い。 「ああ、徳川殿はもう帰られた。、すまぬが店に戻ってくれるか」 佐助に答えてから、幸村はこちらに視線を移した。 うろりと視線を彷徨わせてから、は湯呑の中身を一息に飲み干すと、立ち上がる。 冷めきらない茶の、熱い塊が、喉の奥から胃の腑に落ちていくのが、わかった。 「・・・・・・幸村殿」 何を言えばいいのか、わからなかった。 ただ、名を呼ぶことしか、にはできなかった。 「そのような顔をするな」 そう言って、幸村は笑う。 「そなたが気をかけるようなことは何もない」 その言葉に、は何も答えることができず、そのまま事務室を後にした。 の背を見送ってから、幸村はいまだ椅子に足を組んで腰掛けたままの佐助を見下ろした。 「ずいぶんときついことを言っていたな」 「そーおー?だって、あれくらい言わないとあの子納得しないもの」 全く悪びれた様子のない佐助に、幸村は短く吐息する。 「だが言い過ぎだ、俺がを必要としていないなど、勝手なことを」 「ま、アレで引き下がるような女の子なら、店長には要らないんじゃない」 「お前な、」 呆れたように眼を細めてから、しかしこの男には何を言っても無駄と諦めて、幸村は事務室の壁にかかったコルクボードへ視線を移す。 そこにはたくさんの写真が、画鋲でとめられている。色あせたものは創業当時の店構えを写したもの。若き日の信玄、まだ子どもだった幸村の写真もある。この店に関わったたくさんの人たちの写真だ。歴代のアルバイトたちも写っていて、その中にはもちろん、の姿もある。幸村とのツーショットにはピンク色のマジックで大きなハートが描かれている。交際を始めたばかりのころに撮ったもので、ふざけ半分でハートを書き足したのは佐助だ。 ここにはたくさんの思い出がある。そのすべてが、幸村の、守るべきもの。 「それで、奴さんは何て?いいかげん返事を寄越せとか?」 「・・・・・・うむ、今しばらくお待ちいただきたいと、返答した」 答えたきり口を閉ざした幸村をちらりと見上げた佐助は、その視線を追ってコルクボードに眼をやる。 そこからふいと視線を逸らし、半眼のまま冷めかけた茶を啜った。 閉店して三十分、レジ締めと清掃を終わらせたは、ロッカー室で着替えをしている。 脱いだばかりの深紅の制服をロッカーに入れようとして、その手が止まった。 「・・・・・・」 無意識に、手に力が入って、丁寧に畳んだ制服が皺を作る。それをは、眉根を寄せて、見下ろす。 それなりに長い間、この店で働いてきた。チキンを揚げる仕事こそ店長の幸村や社員である佐助の仕事だったが、それ以外のことならばほとんどの業務をこなせているつもりだった。 一円の誤差も出さずにレジを打つことだけではない、接客をはじめ、店内の清掃や備品の在庫管理、電話応対だって問題なくできていると、思っている。 何より、幸村や佐助から、相応に信頼してもらっている、――頼りにしてもらっている、自負が、少なからず、あったのだ。 昼間の、佐助の言葉を思い出す。 そう、いくら仕事にミスがなかろうとも、はそれでも、ただのアルバイトだ。 それ以上でもそれ以下でも、無い。 店を、正確には「タケダッキーフライドチキン」という会社を継いで以来、幸村はただひたすらに前を向いて、来る日も来る日も働いて、――そしてうまくいかなかったことも多い、そのことをは、知っている。 取引先が離れ、売り上げが伸びず、いくつもの店を失って、それでも幸村はただの一言も、泣き言を言わなかった。 常に前を見据える彼らしくはあったが、それをは、少しだけ寂しいと思っていたのだ。 頼ってくれればいいのにと、その肩に負うものを少しでも、分けてくればいいのにと、ずっと、思っていた。 ――そのようなことを、幸村が、するはずが無かったのだ。 アルバイトに泣き言を言って、それで何になるというのだ。 「・・・・・・わたしは、」 何のために、ここにいるのだろう。 決まった報酬に見合う仕事をし、それ以上の責任を負わない、アルバイトとはそういうものだ。 ならば、タケダッキーのために、幸村と佐助のために、ができることは、もう無いのか。 ・・・・・・自分は、何のために、ここにいるのか。 細く長い息を吐いて、はすっかり皺の寄ってしまった制服をもう一度丁寧に畳み直すと、ロッカーに納めた。 規則正しく並んだ街灯が照らす歩道を、は幸村と連れだって歩いている。 着替えを終えて帰ろうとしたところで、同じく制服から着替えた幸村が「駅まで送ろう」と言ってくれたのだ。 深夜に差し掛かる時間帯で、車通りも少ない。静かだ。も幸村も、店を出てから一言も発していない。 このあたりは学校が近いこともあって、ファストフード店が多く進出している。多くは今日の営業を終了し、灯りも消えているようだった。その中で、一分と歩かないうちに見えてきた看板を目に留めて、幸村が歩みを止めた。 「幸村殿?」 気が付いて、も立ち止まる。 ダテッシュネスバーガーだった。店にはまだ灯りがついていて、閉店後の作業をしているのだろう店員の姿が窓ガラスの向こうに見えた。 「・・・・・・政宗殿は、今の俺を笑われるだろうか」 ぽつりと、幸村が、そう言った。 が何か言おうと口を開いたところで、幸村は「すまぬ」と笑って再び歩き出す。 「幸村殿、」 後を追って幸村に追いついたが肩を並べると、幸村は静かに、口を開いた。 「・・・・・・ヤスバーガーとの資本提携の話。黙っていて、悪かった」 「っ、貴方が謝るようなことでは、」 「初めに話を持ちかけられたのはもう半年ほど前になるか、・・・・・・なかなか踏ん切りがつかず、そなたにも明かせなんだ」 は口を噤む。 半年。その長い時間ずっと、幸村はひとりで、悩んでいたのか。 「実のところ、大変魅力的な話ではあったのだ。今のタケダッキーには出資の話は何よりありがたいものだし、ヤスバーガーの、徳川殿のやり方には学ぶべき点も多い」 だが、と幸村は続ける。 「どうしても、・・・・・・レシピだけは、明かすわけにはゆかぬ」 そう言って、ふと、幸村が笑った。苦笑だった。 「わかっては、おるのだ。俺は、店を守らねばならぬ。佐助を、そなたを、守らねばならぬ。そのためには出資を受け入れるべきなのだと」 ――それは違うと、は思った。 「・・・・・・貴方は、勘違いをしている」 何が違うかと問われてもすぐに答えは見当たらなかったが、とにかく、違う。幸村が本当に守るべきものは、そういうものではないと、思う。 少なくとも、 「わたしは、そしてきっと佐助も、守られるために貴方の側にいるわけではない」 幸村が驚いたような顔をして、こちらを見下ろした。 は前を向いたまま、続ける。 「わたしはアルバイトだ。何となればいつだって、切り離して良い存在だ」 「、」 「ああ、自虐的に言っているわけではない。わたし自身の意志としては、少しでも貴方の役に立ちたくてここにいるのだ。ただわたしが言いたいのは、貴方が本当に守らねばならないものは、他にあるのではないかということだ」 言っているうちに、なんとなく、わかってきた。 武田信玄は、この国のファストフード業界を牽引した実業家でありながら、一方でその財産を慈善事業に惜しみなく注ぎ込んだ。彼が築いてきたものは、決して、フライドチキンを売るための店、それだけではないのだ。 は足を止めて、幸村に向き直った。真っ直ぐと、その双眸を、見上げる。 幸村のその眼が、はすきだ。 優しくて強い、そして何より暖かい、眼だ。 「信玄公が、貴方に託したのは、タケダッキーフライドチキンという店、あるいはチキンのレシピ、わたしや佐助のような従業員、そのようなものでは、ないはずだろう」 幸村が一度、眼を見はった。 薄く開いた唇が、「そうだ、」と、言葉を紡ぐ。 「・・・・・・そうだ、俺がお館様より受け継いだのは、」 店でも、レシピでも、なくて。 「チキンの虎、その、――魂」 その言葉は、のこころにも、すとんと落ちた。 そうだ。 武田信玄が築き、育て、次代に託したのは、かつて「フライドチキンの虎」とその名を業界に轟かせた彼の、その揺るがぬ、熱い魂だ。 「・・・・・・、礼を言おう。俺は、たいせつなことを、忘れるところだった」 いかに経営難であるとはいえ、競合する他社からの出資を受けるなどということは、幸村の魂が、許さないのだ。 資金が必要であるというならば、それは己の働きで、勝ち取ればよいというだけのこと。 幸村が何より守りたいのは、師より受け継いだ魂、そのものなのだ。 ありがとう、そう言って、幸村はの両手を握った。 あたたかい。 目元を緩めながら、は「礼には及ばない」と言う。 「貴方は己の力で、もう答えを見いだしていたはずだ。だからこそ、徳川殿の話が魅力的と理解していながら、承諾せずにいたのだろう」 「そうか・・・・・・、そうだな」 幸村は笑って、そして表情を引き締めた。 「――ときに、。俺は、そなたを切り離そうなどと、そなたが必要ないなどと、思ったことはないぞ」 「!」 「これまでも、これから先もだ」 呆けたような顔では幸村を見上げ、 「・・・・・・そうか、」 そうか、と口の中で繰り返す。 「それを聞いて、・・・・・・安心した」 力の抜けたような笑みを浮かべると、は次の瞬間、幸村の腕の中にいた。 相変わらず、力の入り具合に容赦がなくて、正直なところ痛い抱きしめられ方だ。 それでも、この腕の中はせかいのどこよりもあたたかくて居心地がいいのだと、は知っている。 頭の上から「ばかもの」と一言、笑みの混じった声が振って来て、は口の端を持ち上げた。 ヤスバーガー本社ビルの最上階、社長室には明るい日差しが燦々と差し込んでいる。 壁一面を切り取ったその窓から高層ビルの建ち並ぶ外の景色を眺めていた徳川家康は、今し方客人が出て行ったばかりの扉へと視線を動かした。 「・・・・・・立ったか、真田」 ――『元よりこの幸村、揚げる他に芸無き男』 脳裏に焼き付くのは、そう告げる若き虎の、炎を宿した双眸。 これは、今まで以上に、気を引き締めてゆかねばならないだろう。 そう思って、家康は、どこか誇らしげに、笑む。 ビルの正面玄関前で幸村を待っていたは、自動ドアが開いたことに気づいて顔を上げた。 「幸村殿」 「、待たせたな」 いいや、と首を振って、は幸村に歩み寄る。ダークグレーのスーツは店長となったときに仕立てたものだと聞いていたが、着慣れぬ様子がどこか野暮ったく見える。今度の誕生日には、貯めたバイト代でネクタイをプレゼントしようかと、はこっそり考えた。深紅のネクタイならば、幸村に似合うのではないだろうか。 「それで、首尾は」 「ああ、はっきりとお断り申し上げてきた」 憑き物が落ちたような、清々したような幸村の笑顔を見上げて、は釣られたように笑う。 「そうか」 「うむ、これからは、フライドチキンという我がタケダッキーの強みを、さらに活かすべく、これまで以上に精進を積まねばならぬ!」 まずは、世の信用を取り戻すところからだ、そう言って力強く拳を握る幸村を見て、は頷いた。 ――そして、提げていたバッグから白い封筒を取り出し、幸村に差し出した。 「?」 思わずというように受け取った幸村は、その封筒に書かれた朱字を読む。 「『履歴書在中』、?」 「わたしもそろそろ、就職活動の時期なのだ」 「いや、それは、俺もそうだろうとは思っておるが」 話が見えない幸村はうろうろと封筒との顔を見比べる。 は踵を揃えて背筋を伸ばすと、幸村の顔を正面から見据えた。 「タケダッキーフライドチキン、御社への就職をわたしは志望する。どうか選考を、よろしくお願い申し上げる」 「・・・・・・っ!」 その日、インターネットの掲示板に、そのスレッドの住人の誰のものでもないアドレスで、一件の書き込みがあった。 ――”フライドチキンなら、どこにも負けない。どうかタケダッキーに一度、食べに来てください。” (fin.)
2013.04.01 シロ |