「いつも御利用いただき、ありがとうございます!ごゆっくりどうぞ!」 「…アリガトウゴザイマス」 毎度のことながら、彼のこの笑顔を前にするとどうも緊張する。 この笑顔にお金を払えと言われたのなら、払ってしまいそうだ。 ………怖くて。 なんて、内心そんな失礼なことを考えながら、目の前でこれでもかというぐらい満面の笑みを浮かべている男性に軽く会釈をしてトレイを受け取る。 胸に輝くバッチの数々から考えると、彼はこの店の店長なのだろう。 その中でも金色のプレートに徳川と彫られているネームバッチが、朝日を反射してひときわ目立つ。 徳川さん、ね…。 以前、なぜか自己紹介されたから、もう下の名前まで知ってはいるけれど。 容姿は上の上、さわやか好青年、真面目で親切。 けれど、非の打ち所がないというところが私にとって逆にひっかかる、可愛そうな人。 「悪い人じゃないんだろうけれど…なんか、身構えちゃうのよね。……私にしては、めずらしい」 カツカツとヒールの音を響かせ階段を上りながら、今まで知りえた彼の情報を頭の中で再確認する。 あえてしなくてもいい人間考察をしてしまうのは、職業病。 しかもその視点が、自分がその人間の下につけるかという視点なのだから笑えない。 「DNAにでも刻み込まれているのかしら…」 そんなことを呟きながら席に着き、いつも通りの景色を前に小さく笑う。 まばらではあるけれど、行きかう人の流れを見ているとなんだかほっとするのだ。 友人達にはおかしいと言われてしまうけれど、人と物が動いて、初めて世界は回るものだと私は思っているから。 「平和よねえ……おいし」 小走りに駅へと急ぐサラリーマンたちにエールを送りながら、私も今日のスケジュールを見直そうと手帳を開いた。 ■□■□■□ 「土曜日だと言うのに、今日も仕事か…」 こんなところにいる自分が言えた義理ではないのだが、平素とまるで変わらないスケジュールで動く彼女を見て思わず苦笑する。 来店時間も滞在時間も、その手帳に書き込まれているのではないのかと疑うぐらいに、彼女は時間ぴったりに店にくる。 まあ、その方がこちらの都合も合わせやすいのだが。 それに、こんな時間でなければこうも頻繁にこの店舗だけにくることもできやしない。 下からなんと言われようと、「プライベートだ」の一言と笑顔で済むのだからありがたい。 …少し、いやだいぶ、この店の店長に精神的なプレッシャーをかけているという自覚はあるが。 「平和よねえ……おいし」 毎日のように呟かれるその言葉に、つい顔がほころぶ。 うちのモーニングセットは、彼女の日常に上手く組み込まれてくれたようだ。 いつも同じ席に座り、いつも同じ景色を見て微笑む彼女は、どうやら今は秘書を生業としているらしい。 確かに、彼女の性格上…ぴったりな職業だ。 「だが…もう少しぐらい、手を抜いてくれてもいいんじゃないか…。まったく、どれだけ仕事が好きなんだ…」 調べていくうちに、彼女がいかに難攻不落な存在であるかがよくわかった。 誰もが知る有名企業の役職秘書。 ちょっとやそっとの努力で勤まるようなものじゃない。 「…有能すぎるのも、困りものだな」 ため息とともに、視線の先にいる彼女を見る。 交渉はもはや八方塞。 はじめは何重にも重ねられていたオブラートも、交渉を重ねる内にもはやほとんど取り払われてしまった。 先方からの返答、つまりは…否。 けれど、彼女自身からの反応は、『悪くはない』 「あまり、強引なことはやりたくないんだが…」 仕方がないよな? 彼女が聞いていたら絶対に怒るだろう結論をあえて口には出さず、俺は笑顔で会社へ向かう彼女を見送った。 ■□■□■□ 「…デザート全種類とコーヒーを」 なんでこの時間に彼がいるのだろうか。 そう思いながらも、私はつくり笑顔で口を開いた。 常連ならば、ここで世間話の一つでもすべきなのかもしれないが、さすがに今は誰かに気を使うだけの余裕がない。 「かしこまりました、少々お待ちください!」 夜中、だ。 本来ならこんな時間にこんなものを食べてはいけない。 そんなことはわかっている。 わかってはいるが、飲まなきゃやってられ……じゃなかった、食べなきゃやってられないのだ。 「……さいっ、悪っ!」 周りに客がいないのを言いことに、コーヒーが波立つほど乱暴にトレイを机に叩きつける。 そしていつもは我慢しているスイーツを睨みつけながら、『元』上司からの信じられない解雇通告シーンを思い出す。 『すまないっ、うちの会社が潰されるわけにはいかないのだ…!!』 『はあっ!?』 良い人だった。 超がつくほど真面目で愛妻家の上司はとおっても良い人だった、だから上司を恨む気はない。 けれど……っ…。 「いったい誰よっ!私なんかのヘッドハンティングのためだけにうちの会社に圧力かけたやつは…っ!!しかもっ、本人抜きで話を進めるなんて、ありえない…っ!」 新商品のマフィンにかぶりつきながら、怒りで処理速度が著しく上がっている頭で情報を整理する。 相手はうちに圧力をかけられる会社、そして私を知っている人間が上層部にいる。 嫌でも来週の月曜日に会うことになってはいるが、こちらから断りの電話を入れてやろうと、ハローワークの世話になる覚悟を決めた。 だいたいっ、私のことをわかりすぎている時点で信用ならない! 提示された内容が、まるで私の古馴染みかと言わんばかりに私のことを知っていた。 容姿や性格でなく、かっているのは能力だと。 そんなことを言われて喜ぶ女はそうそういない。 瞳を閉じ、取引先のデータを一つずつ消去法で排除していくうちに、ふと目の前が暗くなった気がして眉間の皺を抑えながら顔をあげた。 「だ…「すまない、そこまで怒るとは……いや、想定内と言えば、想定内だが…」 「………は…?」 「だが、『憂さ晴らし』にうちの店を選んでくれてありがとう。それぐらいには、ここを気に入ってくれた…ということだな。なによりだ」 目の前でまったくもってわけのわからないことを口走っている彼は、いったいなんのつもりなのだろう。 しかも、先ほどまではいつもの見慣れた制服姿だったはずなのに、いつのまにか彼が身にまとうのは上等なスーツ。 あまりにも繋がらない頭の中の連想ゲームに、思わず「はあ…」なんて意味のない言葉がまたも口からもれる。 「それにしても、今日うちに寄ってくれて本当によかった。もう少し遅かったら、探しに行こうと思っていたところだ。ああ、新作の味はどうだ?女性向けにと作られたんだが…」 「は、あ…」 「なんだ、まだ呆けているのか?…あいかわらず、想定外の出来事には弱いな。まあ、わしはそんなところも可愛らしいとは思うが」 『にこり』 『にやり』ではない、あくまで『にこり』…だ。 なのに、なにかがおかしい。 「?」 「少し、情報を整理する時間をいただけますか…」 「ああ、かまわない」 そう言って、断りもなくあくまで自然に隣の席に腰掛ける彼の行動には覚えがある。 「は真面目だな」 そうやって幸せそうに人の名前を呼ぶ声にも、覚えがある。 いいや、覚えなどはない。 ない。 ないのだけれど……それは、今世での話だ。 私は、この男を、知りすぎている。 「…とりあえず、逃げても?」 「これだけの根回しをした男が、そう簡単に逃がすとでも?」 導かれた結論をさらりと肯定した男の名は、徳川家康。 だからだったのだと、今更になっていろんなことに気づく。 今も昔も、食えない人。 「な、んでっ、ヤスバーガーの社長がこんなことにいるんですかっ!!しかもっ、人畜無害そうな顔して!!詐欺…!完全に詐欺よっ!!」 「ははは、そういうわりにはずいぶんと俺を警戒していたようだが…」 「しないわけないでしょうっ!?DNAどころの話じゃなかったわっ!」 「DNA?…ああ、それは光栄だな。わしは、今世でものお眼鏡にかなったというわけか」 「…〜…っ!!!」 なんでこうもポジティブに物事を捉えてくれるのか。 むしろ、なんで私の考えていたことがわかったのか。 たちが悪い。 悪すぎる。 「公私混同はしないつもりだ。月曜日からよろしく頼む」 一切の反論を許さない…というよりは、それが当然とばかりに告げられたその言葉に、私はがっくりと項垂れる。 そうだった、こういう人だった。 お願いだから、黒いんだか白いんだか、ハッキリして。 そして、完全に黒だったのなら……ばっさり斬って捨てられたのに。 言葉とともに差し出されたままになっている、大きくて節のある手に視線を落とす。 ずるい、手だ。 「……いつも、店舗巡りをされているのですか?」 「いいや、こんなに頻繁に来ているのはこの店だけだし、ここ数ヶ月のことだ」 暖かくて、強くて。 あの時は、傷だらけだった。 「この店だけ?」 「ああ…この店で偶然、を見つけてからだな」 「……たらしっぷりは健在ですね」 「にだけだ」 「それはどうも…」 おずおずと触れれば、笑顔とともに握り返された手。 また選んでしまったのかと、自分自身に呆れながら…私からもその手を握り返した。 「でも私、トヨトミルドも好きなんですよね…たまに無性に食べたくなる…」 「…、わしの反応を見て楽しんでないか?」 「いいえ、本心です」 「それはそれで困るんだが…」 ←back |